ホーム | 日系社会ニュース | 湧いた講演会=「日本食への入門」=完成期は江戸時代=明治に西洋食文化取り入れ=奥村、石毛両氏快活に=「日本人にとりコメは特別だった」

湧いた講演会=「日本食への入門」=完成期は江戸時代=明治に西洋食文化取り入れ=奥村、石毛両氏快活に=「日本人にとりコメは特別だった」

2007年4月25日付け

 「今の日本人は米(コメ)でなく、料理で腹をいっぱいにする」「ブラジルのイワシをおいしく食べる」などなど、様々な論題で来場者を沸かせた、講演会「日本食への入門」。国立民族学博物館名誉教授・石毛直道氏と、伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)氏を招き、国際交流基金サンパウロ日本文化センター(西田和正所長)が二十日夜、同センターで開催した。
 両氏は日本食の歴史、作るときのコツやブラジルでのアレンジ方法など、笑いを交えなら、快活な講演を披露。同センターには特別会場が設置され、約百五十人が来場して、日本食への関心の高さをうかがわせた。
 「食事の歴史は一般的な歴史区分とは別になっている」。石毛氏は、日本食の歴史を(一)稲作が伝わった二千五百年前、(二)五世紀から九世紀ごろ、(三)十世紀以後、(四)江戸時代、(五)明治維新後、(六)一九六〇年代の成長期以降、の六つに時代分けする。
 二千五百年前に、狩猟採集の社会から、稲作の社会へと移った「日本の国家経済は、米の生産を巡って、展開してきた」と石毛氏。米で税を納め、米が給料の時代も。「日本人にとって、米は特別なものだった。米で腹を満たすことは裕福なこととされ、貧しい人は祭りの時に、米で作った酒を飲み、〃餅〃という名のケーキを食べた」。
 遣唐使を通じ、中国、朝鮮から箸で食事をする習慣、麹(こうじ)を使って発酵させる技術などが日本へ伝えられ、十世紀以降は西洋人の影響から、牛肉や鶏、卵、油を使った料理が生まれた。さつまいもやとうもろこし、南瓜などアメリカ大陸の野菜も取り入れた。
 日本の伝統食の完成期は、江戸時代。醤油、寿司が広く普及し、緑茶が国民的飲料に定着した。また、日本で外食文化が出来たのもこの頃で、石毛氏は「当時、世界でもっとも高密度にレストランがあったのが、江戸だった」という。
 明治維新になり、「西洋の食文化を日本的に変形させながら採用」。日本の代表的な肉料理、すきやきができたのも明治時代のことだ。
 食の変化には時間が掛かるという石毛氏は、「肉を口にするようになって五十年経った一九二六年でも、日本人の肉の消費量は一日たった四グラムだった」と説明する。
 六〇年代の経済成長以降、日本食は本格的な変化をして、「日本人は世界からの輸入で〃食事〃を楽しむようになった」。米の消費量は半減。肉が増え、野菜が減ったことで「成人病が増えつつある」と、現状を話した。
 続く、石毛氏、奥村氏の対談では、すき焼きの作り方、ダシのとり方などが紹介されるとともに、日本の食文化についての解説が行われた。
 「すき焼き鍋をすき焼き以外に使わないのは、肉が持つけがれが移るのを嫌がったから。すき焼きは神棚の扉を閉めて、家の外でやるものだった」「寿司は昔、保存食で何カ月も置いた後に食べられていた」「日本の東西で味が異なるのは歴史的に、関東の武士、職人の文化と、関西の商人、貴族の文化が繁栄しているから」などなど。
 講演後には両氏に対し、多くの質問がなされ、会場は興味津々で話に聞き入っていた。