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「私の望郷の桂植民地、忘れないでほしい」=坂川さん著書を100周年協会へ=寄贈5千レアル添えて=2月、第2版が支援図書に

2007年5月11日付け

 自分の故郷「桂植民地」をコロニアのみなさんに知ってほしい、忘れて欲しくない、という思いで書いた二世・坂川オノフレさん(82、サンパウロ)の自分史『望郷の桂植民地』――両親が辿った道そして私達の今日までの歩み――第二版が、先月初め刊行された。「桂植民地を知ってほしい」という動機で第二版が刊行された書物は珍しい。この本は、ブラジル日本移民百周年記念協会推薦であり、坂川さんから百五十冊が協会に寄贈された。坂川さんはさらに、協会に事業費として五千レアルを本に添えた。
 『望郷の桂植民地』(日毎叢書企画出版発行)は、初版が〇六年八月、発行された。第二版の刊行は、移民百周年を一年後に控え、「日本移民のふるさと」ともいうべき〃わが故郷〃(一九一三年開植)をさらに強くアピールしたい気持で行った。坂川さんの両親は、この地で結婚し、坂川さんは、二四年、二男としてこの地で出生している。「苦難のスタート地」でもあった。苦難が多かっただけに、歳月を重ねても懐かしさがつのる故郷なのだろう。
 本を贈られて読んだ協会の松尾治執行委員長らは、すばらしい回想録だ、と礼状にしるした。「ご母堂を四歳のときに亡くされ、その後六歳のときにお父上を亡くされ、ご兄弟三人とも孤児になられ、たいへんに苦労されたことを知り、涙で続きが読めなくなりました」「きびしくも心優しい叔父ご夫妻に引き取られ、立派に成長されたあと、たいへんな努力の末,独立の道を切り開かれ、みごとに坂川家を再興された由、最初から最後まで素朴な表現ながら、読む人をひきつけます」。坂川さんの歩みがよくとらえられている。
 本は、B6版、日本語百十五ページ(うち写真二十七ページ)、ポ語訳七十ページ。〃コメの里〃桂植民地の過去を知らない若い世代にも読んでほしいという願いがこめられている。
 百周年記念協会は、去る二月、この本を協会の支援図書に登録した。坂川さんは完成後、みずから本と協会への寄付金五千レアルを松尾委員長に手渡した。本を発行した日毎叢書企画出版は、今度の坂川さんの隠れた善行を知らなかった。協会の礼状を見て知り、九日、「今度の寄付は、協会への寄付活動の呼び水になるかもしれない」と本紙記者に知らせにきた。坂川さんの奥ゆかしさが十分に感じ取れる出来事だった。
 坂川さんは、私生活では、妻の悦子さんと結婚して今年で五十年。「自分が今日あるのは長年妻が面倒をみてくれたお陰だ。自分史で自分の人生を振り返る余裕を持つことができるのも妻の力に負うところが大きい」と感謝の言葉をのべている。