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右も左もキリストの道外れ=法王、訪伯終える=道徳再興訴え、聖職者に発破=政治の専制的傾向懸念

2007年5月15日付け

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙十四日】ベネディクト十六世は十三日、アパレシーダ市で開催された第五回ラテン・アメリカ司教者会議で、資本主義もマルクス主義も私腹を肥やすことに狂奔し、キリストの道から外れたと訴え、訪伯の旅を締めくくった。両主義とも理想社会を約束したが、偽りの思想に過ぎなかった。資本主義は人間性を頽廃させる憂いを引き起こし、マルクス主義は経済と環境、精神の破壊を招き、悲しむべき遺産を残した。ローマ法王の来伯では、道徳再興で新教進出に対する対抗策は聖職者への発破に留まった。
 ローマ法王はヴァチカンへの帰還に当たり、中南米各国で支配的思想となりつつある人命軽視と天然資源国有化を憂慮すべきものと訴え、五日間にわたった伝道集会を閉会した。ラテン・アメリカの政治に最近専制的傾向が芽生えていることは懸念すべき事態だと法王はみている。
 資本主義が発達した欧米社会では貧富の格差が増大し、貧困者の人格的尊厳が疎まれた。マルクス主義社会では経済が行き詰まったばかりでなく、人間が向上意欲を失い、精神的に退化した。どちらも神から離れ、偽りの概念をつくって真理と思い込んだという。
 資本主義もマルクス主義も、人間がつくった偶像だ。この偶像を拝み、精神の拠り所とした。真の拠り所は社会基盤の上に人々の賛意で築くもので、一部の人間によって打ち立て運営するものではない。
 聖職者の役目はキリストの教えを訴え、一人一人に福音を説くこと。結果として平信徒政治家や社会活動家になり、社会の流れを軌道修正することだと法王は諭した。
 キリストが来たのは貧乏人と病人のためであり、貧しく病める心を豊かに富ますためであった。しかし政治は、キリストの代理である教会の意向を反映していない。だから教会は、平信徒を通じて政治に共同体経済と人道的価値を求める。テレビやラジオのメディアを通じて布教活動を行う。
 教会が政治に直接介入すると、教会の独立性と道義性が失われ、本来の貧困救済や真理追究もズサンになるという。政治が混迷する中、各国政府は円満な家庭を育むための適切な政治的措置を採るよう求めて、法王は帰途についた。
 関係者は、ローマ法王庁が資本主義とマルクス主義の欠陥によって社会にスキが生じ、専制主義が入り込むチャンスをつくったのを危惧しているという。この神不在の流れは、道義的価値について全員の合意は不要と考えた。そして政治的合意へ発展した。
 しかし、法王の来伯でカトリック教会が直ちに再活性化するとは誰も思っていないらしい。ローマ法王は、セー大聖堂やパカエンブー競技場で若者らの召命を促したが、反響はほとんどない。ベネディクト十六世のカリスマ性は今一らしい。プロテスタント攻勢の前には及び腰だ。
 ローマ法王のアピールは、九日が中絶反対。十日は宗教教育。十一日は貞操を嘲笑するメディアを戒め、離婚の通例化に赤信号を発した。また新教の改宗勧誘にも一石を投じた。十二日は麻薬防止を教会活動に入れた。十三日は二十世紀の思想的欠陥を指摘、政治の見直しを求めた。