2007年5月29日付け
老ク連一行が、最後の目的地、弓場農場についたのは四月三十日午後二時ごろ。一行は、農場の紹介ビデオを見たのち、小原明子さん(弓場バレエ指導者)の案内を受けた。
「今、弓場には七十人足らずが生活しています。午前六時、正午、午後六時になると角笛が鳴り、食事の時間を知らせます」。小原さんは農場の生活を説明。農場の作付け面積は約三十五アルケール、総土地面積は五十アルケールで、生活の三分の二を自給自足。昼は農業を営み、夜はバレエやコーラスの練習に勤しむという。
「最高齢者は百三歳、九十歳前後は三人いて、皆で支えています」。
一行は、ぞろぞろと列をつくり、農場内施設や畑の見学をおこなった。
二十年間を第一アリアンサ二区で過ごした今井博さん(79、サント・アマーロ青空会)は、「ここ(弓場のあるところ)は第一アリアンサの四区。僕がいたころはドロ道だった。五つ(五歳)で来て、ほとんどが日本人ばかり。ガイジンが歩いているのを見て隠れてた」。
懐かしそうに周りを見渡しながら、「一本道で、カミニョンなんてほとんど通らない。二十歳くらいのときに青年会に入って。野球が盛んだったな」と振り返った。
一九五〇年ごろには、二十二万羽のにわとりを飼い、大養鶏場だった弓場農場。〇四年にNGOとしての登録を済ませ、現在三、四カ月に一回、全員が参加しての総会を開いて、農場の経営を進めている。
「一歩一歩確実に。こういう団体はめんどくさいけど、同じヤツは一人といない」と、弓場常雄さん(農場代表)は豪快に笑った。
辺りが暗くなり始め、バレエ団の舞台鑑賞が始まる。演目は、色鮮やかなハッピが舞うよさこいソーランから、子供たちが踊った「風にのって」、ショートダンスなど九種目。
「土とともにあること、祈ること、芸術すること――。三つの思いは消えることなく今も生きている。私たちはこの舞台のようにケンカし、泣き、笑い生活している。また、弓場にきてください」。団員が全員出場してのフィナーレに、一行参加者らは感激し、西丸俊子さん(78、モジ文協老人部)は「初めて見ましたけど、すごい」と熱い拍手を贈っていた。
一行は、弓場の広い湯船にもつかっった。手作りの豆腐が調理されたジャンタールに舌鼓を打ったのち、味噌やジャムなど弓場の特産品をおみやげに買い込んで、同地をあとにした。
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帰着した明け方のサンパウロ市はまだ静まり返っている。玉井須美子さん(79、サンパウロ鶴亀会)は「よかったわ~」と満面の笑顔を見せ、田村福八さん(85、サント・アマーロ青空会)は「上塚周平の墓での、安永さんの涙には心が熱くなって嬉しかった」と旅行を振り返った。
重岡会長は「僕も昔のことを思い出しましたよ」。老ク連では会員の親睦を目的に、年に二回の大きな旅行、二カ月おきの小さめの旅行を企画している。重岡さんは「会員の交流がよく図れました」と、満足げに話して帰路についた。
(おわり、稲垣英希子記者)