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笠戸丸の錨を引き上げる=百周年=クリチーバ市の記念公園へ=高山連議がロシア大使と交渉=露伯両海軍に協力要請へ

2007年5月31日付け

 ロシア領海に沈んでいる笠戸丸の錨(いかり)と舵、鐘を海底から引き上げて、クリチーバに建設される予定の百周年記念公園に設置する計画が、高山ヒデカズ連邦下議(伯日議員連盟会長)らの主導で進んでいることが分かった。一九〇〇年にイギリス船として建造されて以来、ロシア義勇艦隊の兵員輸送船、日本の第一回移民船「笠戸丸」、さらに蟹工船、第二次大戦時にロシア領海で沈没――という数奇な生涯を送ったことで有名な船だ。すでに高山下議はロシア大使と連絡をとり、沈没位置を特定した。来年六月の開園式に向けて連邦政府との予算交渉なども始めている。
 高山連邦下議のブラジリア事務所によれば、同連議の発案により昨年からアイデアを温めてきた。同連議はすでに駐伯ロシア大使のブラジミール・チウルデエヴィ氏(Vladimir L.TYURDENEV)と交渉をし、ロシア海軍によって沈没位置の特定も終わった。
 「ロシア海軍の調査により、十八メートルと比較的浅い水底に沈んでいることが分かった」と高山連議事務所は説明する。同海軍は、ブラジル海軍と共同で潜水部隊を出して引き上げることを要請しており、今週にも高山連議は、その件でブラジル海軍総司令官と話しあう予定だという。
 同事務所では「船体全体を引き上げる訳じゃありません。でも、早ければ今年中にも錨、舵、鐘を引き上げる。来年六月には、皇室のご臨席のもと百周年記念公園のイナウグラソンができれば」との期待を語った。
 この記念公園は、クリチーバ市役所が主体になって企画しており、その設計責任者は建築家のハヤカワ・ルイス氏だ。その目玉となるのが笠戸丸の錨。高山連議はそのアイデアを出すと共に、連邦政府との予算折衝を進めている。
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 宇佐美昇三著『笠戸丸から見た日本―したたかに生きた船の物語』(海文堂、〇七年)によれば、一九〇〇年にイギリス船ポトシとして起工、進水し、帝政ロシアの義勇艦隊の汽船カザンに改装されたこの船は、日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍に捕獲され、日本船「笠戸丸」となった。
 移民船として第一回ブラジル移民を運んだのち、イワシ工船、蟹工船などとしても活躍。一九四五年八月九日にカムチャッカのウトカ沖、北緯五三度〇二分でロシアの戦闘爆撃機三機によって撃沈させられた。時あたかも、終戦の一週間前だった。
 「時間の経過と共に、笠戸丸はどちらの舷に傾斜することもなく、静かにちょうど海底に座礁したような形で沈没した。一四時三〇分ごろで、海面に突き出た煙突、マストを今でもはっきり思い出すことができる」(同書三七八頁)
 日本の近代史を駆け抜け、数奇な運命を歩んだ船が今また、移民百周年を前に再び脚光を浴びようとしている。