2007年6月9日付け
【東京支社長=藤崎康夫】日本ブラジルの交流に大きな実績を残し、志半ばで、去る一月十一日亡くなった秋葉なつみさんを偲び、夫の楠野裕司さんを励ます会が、五月三十日午後七時より東京・赤坂のプラザミカドビルで開かれた。
小雨のばらつく中、楠野夫妻と親しくし、また志を共にしていた人々約四百人が会場にかけつけ、広々としたホールを埋めた。
参加者の中には、歌手の加藤登紀子をはじめ、芸術界、実業界、政界、官界、教育界、マスコミ界など各界からの幅広い人々が参集し、故人の交際の広さを物語っていた。
ホール正面のスクリーンに映し出された生前の元気ななつみさんの姿を見ながら、そのすぐれた才能と人柄を思い起こした。
一方、献花のバラとキャンドルに囲まれた彼女の遺影を前に、参列者らは悲しい「死」という現実を認め、彼女が果たした日伯交流への貢献の大きさをあらためて確認した。
挨拶に立った楠野裕司氏は、明年六月に迎えるブラジル日本人移民百周年を前に、それを記念する文化交流イベントの準備に奔走するなかで急逝したなつみさんの無念を語り、「チャオ、ナツミ!」という言葉で結んだ。
また、なつみさんの母、秋葉秀子さんは、娘の名の由来を語り、「あまり突然のことで、娘のことを皆様の前で話すことになるとは思ってもいなかった」とその胸中を語った。
ニッケイ新聞の高木ラウル社長は楠野夫妻の実績の大きさを述べ、仲人、高校大学時代の恩師、学友などが人間味にあふれる彼女との思い出を次々に語った。
五十代半ばの生涯だったが、両国の文化交流をはじめアマゾン環境プロジェクトなどのコーディネーターもつとめ、幅広い才能を発揮した。