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生徒がつくる運動会=パ国イグアスー日語校

2007年6月13日付け

 【イグアスー移住地発】今年で三十回目を迎えた大運動会が五月二十七日、パラグアイのイグアスー移住地で行われた。開催したのは日本語学校(堤和子校長、青森県出身)。児童生徒たちの元気な行動に誘われて集まった大勢の保護者、来賓、卒業生らが揃って楽しさを満喫した。
 イグアスー日本語学校が開校したのは一九六三年九月一日で、十数年間の仮校舎授業を経て、七八年に移住地の中心街にある今の校舎に移動し、第一回目の運動会が行われた。その時、小学二年生だった伊藤勉さん(二世、両親は岩手県出身)の長女が今年、小学一年生となって記念すべき第三十回大運動会に参加した。「当時は新校舎に移った年だったので、校庭の草むしりや壁のペンキ塗りなどの作業できつい毎日だったよ」と言いながら「組体操の練習では下敷きとなり、あばら骨を折った。今でもその跡が残っているよ」と運動会の思い出を述懐している。
 当日は上級生たちが早朝の暗いうちから学校に集合して準備に取りかかった。「日本では準備から運営まで教職員がやり、生徒は参加するだけなのに、ここでは生徒たちが手づくりで準備してきた」と驚きの表情を見せたのは、天理教から派遣されて、今年二月に着任したばかりの西村俊祐教諭(三重県)だ。
 日本語学校で二年間の勤務を終えて間もなく日本に帰国するというJICA日系社会青年ボランティアの白石素子さん(大阪府)も「女子生徒のダンスを担当しましたが、採用する音楽も体形移動も振り付けの大部分も生徒たちが自分たちで決めるんですよ」と証言する。
 会場にいたPTA会長の植村行秀さん(大阪府出身)は「生徒たちが自主的に行動するのはこの学校の伝統です。ずっと続いて欲しいですね」と言う。生徒たちの自主的行動そのものが日頃の教育の成果であり、それを保護者や地域社会に公開する場が大運動会である、ともいえよう。
 校舎の屋根には中学三年生が段ボールを活用してつくった、色彩豊かな4×7メートル大の、『30 大運動会』の看板が広げられた。「澄み渡る秋空へはばたけ、イグアスーの子」(白組、嶋倉あすか、小五)、「今年は絶対負けないぞ、真っ赤に燃えて優勝だ」(赤組、矢島豊、小六)のはつらつとした標語は校舎の壁に掲げられた。
 日本語学校の児童生徒の相当数が非日系子弟だ。学年毎に親子参加の楽しく、笑いころげるようなゲームが組まれており、運動会は親子の対話や保護者同士の相互交流が進む年一回の貴重な機会でもあるようだ。両親の前で全力で力走する子供たちの姿は輝いていた。「練習の成果、行動、進行を父兄に見ていただき、すばらしい運動会ですね、と言われるようにしよう」という開会式での堤校長の訓示は体現された。