2007年6月17日付け
昨年末来、帰伯逃亡デカセギ事件の裁判が日伯のマスコミを騒がせているが、両国の刑法やブラジル憲法の解釈について、理解しずらい面をもっている。そこで、日本ブラジル中央協会発行が発行している隔月刊誌『ブラジル特報』二〇〇七年三月号に、専門家による平易な解説が掲載されたので、同誌と著者の了解のもと、ニッケイ新聞に転載することになった。(編集部)
二月六日、七年半前に浜松で高校生をひき逃げしブラジルに帰国したミルトン・ノボル・ヒガキ被告人の初公判が開かれた。日本での裁判・処罰を可能にする引き渡しをブラジル政府が行わないためである。
この事件に限らず、逃亡ブラジル人犯罪者についての報道が増え、そのたびに、日本への引き渡しの障害となっているのが自国民の引き渡しを禁ずるブラジル憲法の規定である、と報じられる。こういう形で、ブラジル憲法は、この部分だけが、マスコミを通じてすっかり有名になった。
ブラジルの法規定について、日本人に知識が増えること自体は喜ばしいことであるが、まるで犯罪者の「逃げ得」を許しているのがブラジル憲法の引き渡し禁止規定であるかのような誤解すら生じているのは問題である。
そこで、この誤解を解いて、ブラジル憲法の引き渡し禁止規定の意味するところとその運用 について知って頂く、という趣旨で本稿を執筆してみた。
たしかに、現行一九八八年ブラジル憲法の第五条LIは、「いかなるブラジル人も引き渡しを受けることはない」と定め、判例・学説でも、これを引き渡しの絶対的禁止と位置付けている。絶対的禁止というのは、出生によるブラジル人であれば、犯罪の種類を問うこともなく、例外なく引き渡しを被らないということである。
もっとも、自国民の引き渡し禁止は、なにもブラジルの専売特許ではない。十八世紀から、自国民の不引き渡しは、ヨーロッパ大陸ではむしろ主流であった。第二次世界大戦後はやや緩和されるが、それでもイタリアやドイツでは、憲法に自国民の原則的引き渡し禁止が明示されている。
また、憲法に明文の不引き渡しについての文言がなかろうと、一般に引き渡しは相手国との間に引き渡し条約がなければなされないものである。引き渡し条約は、自国民を引き渡しても相手国が適正な裁判を行い適切に行刑に処するという相互の信頼のある国同士が結ぶものであり、日本の場合も引き渡し条約を締結しているのは米国と韓国だけであって、それ以外の国に対しては日本も犯罪者を引き渡さない。
ブラジルの場合、憲法で自国民の引き渡しの絶対的禁止を定めている以上、条約による解決はない。ブラジル連邦最高裁も、憲法と引き渡し条約との関係について、憲法が条約に優位することを明言している。つまり、仮に引き渡し条約があっても、自国民の引き渡しは憲法に禁止されている以上、引き渡しを連邦最高裁 が認めることはないということである。
引き渡し禁止が一般的なヨーロッパの原則であるとはいっても、ヨーロッパの潮流とブラジルのそれとが軌を一にしているわけではない。現在でこそ、出生によるブラジル人について引き渡しが絶対的に禁止されるものの、ブラジル独立後最初の帝国憲法(一八二四年)および共和制移行後の最初の憲法(一八九一年)の施行時には、憲法で自国民の引き渡しの禁止は定められておらず、むしろ、二十世紀初頭の下位の法律においても自国民の引き渡しが明示されていたのであり、実際に、連邦最高裁判所は自国民を引き渡す判断を下していた。
しかし、ヴァルガスがクーデターにより政権を握り、その意向を反映して制定された一九三四年憲 法によって、初めて自国民の引き渡しが禁止された。それ以降、引き渡し禁止は、後続の憲法によっても引き継がれる伝統となったのである。
一般に、自国民の不引き渡しという発想の基礎には、他国の裁判所で不公平な扱いを受けるかもしれないという不信があり、また、国家の尊厳や国民保護義務が引き渡しによって損なわれる、という危惧がある。ブラジルがヴァルガス時代に自国民の引き渡しを禁じる方向に転じたのも、この時期のナショナリズムの流れに沿う、そうした不信や危惧の現われと見ることができよう。それはまた、やや遅れてきた、引き渡しについてのヨーロッパの潮流への同調でもあった。 (つづく)