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移民99周年=開拓先駆者の冥福祈る=パラナの慰霊祭=移民センターに200人=100周年祭典準備も順調

2007年6月20日付け

 パラナ日伯文化連合会(西森ルイス会長)主催のブラジル日本移民九十九周年先没者慰霊祭が、十六日午後二時から、ローランジア移民センターで開催された。慰霊碑前には、佐藤宗一在クリチーバ総領事、西森会長(パラナ州議会議員)、鈴木エドアルド・マリンガ文協会長、上野アントニオ・パラナ日伯商工会議所会頭、エウリオ・モウラ・ローランジア市長、金城ロベルト・ロンドリーナ市議会議員、日系団体関係者ら約二百人が出席。晴天に恵まれ、先没者の冥福を祈った。
 法要は、移民資料館横の慰霊碑で黒沢慈典導師(マリンガ日伯寺住職)によって執り行われた。
 西森会長は「ブラジル日本人移民九十九年目の慰霊祭です。惜しくも笠戸丸移民の中川トミさんが、昨年十月に亡くなられて、この場に居ないことが残念です。移民の歴史を知るたびに、先没者の苦労を忘れてはならない、と思います。皆様安らかにお眠りください」と追悼のあいさつ。
 佐藤総領事が献花を行い、追悼の辞で「パラナでは北部中心に、移住してきた、勤勉で、努力する日本人が開拓に従事した。言葉や文化が異なった地で、絶え間ない努力が続けられ、今日のパラナ州があるのではないか」と述べた。
 黒沢導師により読経とともに、焼香が始まり、参列者は数珠を持ちながら手を合せていた。
 その後、歌碑の除幕式が行われた。歌碑に神津正さんが作った歌「移り住んでラテンの国に老いし今時に信濃の夢をみるかな」が刻まれている。一九九九年の歌会始の公募で入選し、二〇〇〇年一月十四日、宮中での歌会始儀式において、天皇、皇后両陛下の御前で朗詠されるという光栄に浴した。
 出席者の一人杉本俊和さんは「今回の立派な歌碑の落成は、亡き神津正氏のみならず、日本やブラジルに住む神津家全体にとっても感慨深い慶事であります」とあいさつ。
 会館に移動し、懇親会では、ローランジア勇和太鼓による奉納演奏が行われた。
 百年祭に向けての計画や抱負などを西森会長は「来年の百周年祭準備は順調に進んでいる。みんなで力を合せて盛大な祭典にしたい」と意気込みをみせた。
 今回の慰霊祭に中川トミさんが出席していないことをどう感じたか、ローランジア市在住の石坂三郎さんは「とても残念なこと。今回出席どころか、もっと長生きして、今後の慰霊祭に出席してほしかった」と話した。
 同センターには、七八年に移民七十周年を記念してパラナ州日本移民資料館が建てられ、隣には八十周年、九十周年の記念碑が並んで建つ。すでに百周年記念碑建立の土台も用意されている。さらに百周年事業の一環として落成したパラナ州開拓神社がその横にあり、日系コロニアに尽力した二十人が祀られている。
 来年の百年慰霊祭では、また新たな記念碑を三基建立する計画を進めている。