2007年6月22日付け
九十九年目の「ブラジル日本移民の日」にあわせ、サントス市でも先亡者慰霊の行事が行なわれた。十七日には、昨年十二月に六十三年ぶりに返還された旧サントス日本語学校校舎で慰霊のミサを、翌十八日にはボケイロン海岸の日本移民ブラジル上陸記念碑前で、初めてとなる慰霊の神事を実施した。市とともに百周年への準備を進めるサントス。この日は市長も海岸を訪れ、先人の功績を称えた。
「これまでも毎年移民の日には記念碑を訪れてきましたが、こんなに盛大なのは初めて。良かったです」――、二十五年にわたってサントス日本人会長をつとめ、上陸記念碑の建立にも尽力した上新前会長(85)は十八日、慰霊行事を終え感慨深げな様子だった。
例年は日本人会の有志が集まり、花を供えるなどしてきたが、今年の移民の日はサントス市役所の協力を得て、初めて神事による慰霊行事が行なわれる記念すべき年になった。
笠戸丸文化福祉協会(吉加江ネルソン会長)の協力によりブラジル大神宮の藤好諒山(まさなり)宮司が出席。午前十時過ぎから行なわれた「サントス開港百十周年祝い」および「ブラジル日本移民九十九周年先没者慰霊」の神事には、ジョアン・パウロ・タバレス・パパ市長、遠藤浩日本人会長をはじめ市や同地日系社会関係者など約百人が訪れた。
藤好宮司が祝詞を奏上。開港から約十数年後に初めての日本移民を受け入れたサントスの歴史、同市と日系社会との結びつきの強さに触れるとともに、日系社会、ブラジル発展の礎となった先駆者を慰霊した。
続いて、斎主姫(まつりひめ)の中司陽子さんがサントスを訪れる人たちの幸福を祈り「豊栄(とよさか)の舞」を舞い納めた。初めて見る巫女の舞姿に、海岸を訪れた市民も足を止めていた。
遠藤日本人会長は「サントスに四十二年暮らしていますが、これほど盛大な移民祭ははじめてのこと」と市役所など関係者に謝意を表わすとともに、「来年の百周年は盛大に行事を行ないたい」とあいさつ、サントス市民の協力を呼びかけた。
来年の百周年に向けて協力の姿勢を見せているサントス市。タバレス市長はあいさつで、百年近い歴史が築いた日伯の絆、また農工業、漁業における貢献の大きさを称え、「今日の朝はサンチスタにとって重要な日」と賛辞を送った。