地球化の本家ポルトガル=欧州に未知の世界伝える
2007年7月4日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙六月二十二日】スミソニアン主催の「グロバリゼーションの本家ポルトガル」展示会が二十三日、ワシントンのサクラー・ギャラリーで開催された。ブラジルからアルベルト・エックハルトの絵画「先住民」やフランツ・ポストの風景画、モンセラットの聖女像などが出展された。
ポルトガルの航海士が一四九八年にインド航路を発見して以来、ポルトガル覇権時代の遺品である芸術作品やタイル、医療器具、異国情緒な工芸品がブラジルにも多く残されている。ポルトガル人が日本や中国、インドから持参した工芸品により、欧州人らが外国文化に接したのだ。
これらの工芸品によりヨーロッパのアジアやアフリカ、南米に対する考え方が変わった。これが、中世におけるグロバリゼーションの起源とされる。続いて一五〇〇年にブラジルを発見。一五一三年には中国を発見。一五四三年は日本発見となっている。
ポルトガル人は、世界の珍しい産物や動物、人種、地図、絵画、塗物、文献を紹介し、新海域や新領土の様子を披露した。これら芸術作品はヨーロッパ各地で展示され、未知の大陸や文化の存在を各国へ知らせ、従来の常識に革命的変革を起こさせた。
この展示会は、ポルトガルの商人や宣教師、王室の使者がそれぞれの目的で新世界を開拓したことを物語る。こうして近代社会の黎明期を築き、太洋が民族や国々の国境と文化の流通経路となった経緯も理解できるようになっている。
ポルトガルは、世界中から珍しい品々を輸入した。中には日本の火縄銃のように種子島へ伝来した四十年後、大量の日本製火縄銃が欧州へ輸出された。しかも射程距離が長く、命中率も高かったという。日本人は銃口内に螺旋状の溝をつけ、弾丸が回りながら突進し、空気抵抗を少なくするよう工夫したのだ。
日本では、ポルトガルの商人を南蛮人と呼び、伝道師とは区別した。ポルトガル商人の経済動物性に警戒したらしい。インド航路を開拓したポルトガルは、マスカットからスリランカまでインド各地にポルトガルの寄留地を築いた。
工芸品が欧州へ紹介されたのは後のことで、当初は奴隷の買い付けが中心だったらしい。日本進出への拠点はマカオであった。戦国時代の日本は、ポルトガル人が持ってきた火薬によって大きく歴史を書き換えられたようだ。