2007年7月24日付け
戦後の闇市が盛んな頃、日本には左翼運動が蔓延り寒村にまで赤旗が翻った。昭和21年1月12日に共産党・野坂参三が帰国すると、26日には日比谷公園で参加者3万人による帰国歓迎大会が開催され、声楽家・四家文子が壇上で「英雄還る」を熱唱し大拍手が巻起こる。野坂は戦後初の衆院選で当選し、新憲法制定では自衛権の保持から政府の草案に反対し一躍―有名人になったものである▼敗戦による混乱もあり、あの当時は農地改革や労働組合設立が広がり革新的な気運が昂ぶっており、政治的にも左翼系が強い。日本共産党もその一つであり、政治と社会への影響力は大きかったし、最高ポストの「議長」に上り詰めた野坂参三の力も凄い。先に98歳で泉下に旅立った宮本顕治・元中央委議長は、野坂の後輩だが理論的には必ずしも同じではない。野坂の所感派に対し国際派であり党内では激しく対立もした▼尤も、野坂にも宮本にも謎は多い。戦前の旧ソ連や中国へ亡命した野坂の行動にはかなりおかしげなものがあるし、これが命取りになり「スパイの容疑」で名誉議長を解任され党除名になっている。一方の宮本には昭和8年の「スパイ事件」がある。東京のアジトで党員の小畑達夫を拷問で殺し無期懲役の判決を受け網走刑務所へ▼戦後に釈放されるが、本人は無罪と主張している。だが、この暴行殺人事件に関与した袴田里見は「暴行して死亡させた」とし犯罪性を認めている。まったくもって謎また謎なのである。宮本は共産党のカリスマとマスコミは書くが、間違いなく左翼運動を象徴する人物であった。敬称は略しました。 (遯)