2007年7月25日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙六月十九日】ブラジルは指導者不在の政治的不毛の地かと、サンパウロ州地裁のアロイジオ・セーザル裁判長が嘆いた。共和国政治が汚職でまみれている時に国家のモラルを叫ぶ声が、どこからも上がらない。
国家公務員や公社職員は、お役所仕事のノロノロ認可や庶民泣かせストのシステムを築き、罰せられない。これは国家の秩序を守る法律の欠落である。
先にジェフェルソン下議が猫の首に鈴を付けようとしたが、喉元過ぎて熱さを忘れた。同下議の手法は少し過激であったが、これに続く熱血漢が現れて然るべきではないか。スト防止のために、公務員を敵に回す者はいないのか。
ブラジル民主運動党(PMDB)に野党の役目を期待したが、まんまと組閣のエサに釣られて、政治家の魂を売った。ブラジル民主社会党=PSDB)は、政治舞台の観客だ。アウキミン前知事は、ブラジルに引導を渡したのだろうか。
今は悪夢とされる軍政時代は、まだ指導者が存在した。その反映としてタンクレッド・ネーヴェス氏やウリセス・ギマランエス氏などが登場した。これら指導者は、ブラジルを代弁し、個人の考えを主張したのではない。国民もその意欲に期待し、耳を傾けた。
現在の敵は軍政の独裁者ではなく、国家の秩序を乱す汚職関与者だ。ヴァルガス元大統領は、側近の不正で責任を取った。日本では松岡農相と中川元農相が不正関与の責任をとって自害した。自己の誇りに生命を賭する政治家が、ブラジルに出現しないのか。
ルーラ大統領は労働者党(PT)政権の汚職について弁解するが、正面対決はしない。事件が発覚すると、言い訳の方法を考える。そして連邦警察が解決するといい、まるで他人事のようだ。連警は捜査の結果を裁判所へ提訴するだけだから、大統領の配下ではなく一管理機関に過ぎないのだ。
現政権になって汚職は繁殖するばかり。閣僚を始め官僚ら多数が汚職に連座しても、大統領の鉄槌が下ることはない。心理学では人間が本懐を遂げると、次には欲が深くなるという。ルーラ大統領は、立志伝中の代表人物としてブラジルの歴史に残る。ペルナンブッコの極貧村から十三日もトラックの荷台に揺られた流民の子供が、天下人となった例はない。
ルーラ大統領の人生における勝利が、汚職と無秩序に対する勝利とならないのは残念である。大統領のすることを見ていると、分け前を子分どもに分配するのは当然のことらしい。
大統領の就任前は、汚職撲滅に意欲を見せたが、就任後はケロッとしている。スキャンダル・リストを見ると、首脳陣が種を播いたようだ。多くは失脚したが、罰せられた者はいない。退陣した元首脳は、いまも配下の人間を使って不正行為を続けている。わけの分からない省庁を増設し、稼ぎ場を造ったのだ。