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日本移民の古里レジストロへ=海外日系人・パンアメ合同大会の参加者ら=500人大挙して=先没者慰霊にも立会い=茶畑にも感慨

2007年7月26日付け

 第四十八回海外日系人大会および第十四回パンアメリカン日系人大会(COPANI)合同大会への参加者が二十日、レジストロを訪問した。同地はブラジル日本移民が最初から自営農として入植、開拓したゆかりの地。両大会は十八日、サンパウロ市のホテル・ブルーツリー・コンベンションで開幕し、十九日に分科会を終えた。二十日は視察、見学の日。南北アメリカ各国、日本など世界二十三ヵ国からの約五百人が参加し、先没者慰霊の催しにも立会い、茶畑はじめ日本移民の古里を実地で知った。
 午前七時に同ホテルを専用バスで出発。バスの中でお互いの歩んできた道を話合っていた。
 サンパウロから約三時間。レジストロ日本移民記念館に到着したあと、午前十一時から同館内で地元日系人らも参加して「開拓者先没者慰霊祭」が行われた。
 来賓は、地元クロヴィス・ヴィエイラ・メンデス市長、奥山幸イネース副市長、サムエル・モルエイラ・ダ・シルヴァ・ジュニオル前市長、塚田千裕財団法人海外日系人協会理事長、笠松信吾フェリックス・パンアメリカン日系人協会会長、矢野敬崇パンアメリカンブラジル日系人協会会長・合同大会実行委員長。地元から山村敏明レジストロ百周年委員会会長、那須野秀男同委員実行委員長ら関係者が出席した。
 メンデス市長は「わが地方は日本人移民の人たちで発展したといって過言ではない。市としても来年の百周年記念にはできる限りの力になりたい」と協力姿勢。
 塚田理事長は「日本人がこの聖地から始まった深い歴史は今も生きている。この長い歴史を残していくように力を合わせていきたい」とあいさつ。
 次に会場の全員が起立し、先没者に対し黙とうを捧げ、焼香を行った。その後、右手を上げ、百周年を前に平和の誓いを唱えた。舞台前には、今回のイベントの記念プラッカが立てられており、除幕式をした。
 会食が始まり、太鼓ショーや聖南西日本人移民の歴史写真などがスクリーンに映され、参加者らは集中して見ていた。
 矢野会長は「今回は仏式で法要をしたが、来年はキリスト教式でやる。地元の人は二つの教えを受け入れているのはとても素晴らしいこと」とコメント。
 山村会長の話によると、来年百周年記念事業として、同市の入り口に高さ十メートルの百周年記念ロゴマークを両手で持ち上げるような記念碑を建立する。記念碑は人が通れるような造りにするほか、市内七七ヵ所に彫像を設置する予定。
 そのほかの記念事業は、ミス日系選出や百歳高齢者の表彰式。また、皇室にご来伯要請の文書を送っており、返事待ちだ。
 閉会後、一行は日本移民がつくりあげた茶畑、日本移民資料館、KKKK(海外興業株式会社)旧家屋を見学した。一九三五年に初めてスリランカから同市に茶の苗木が岡本寅蔵さんの手により導入されたが、その木が今でも岡本ロベルトさんの茶畑にある。
 米国加州ロサンゼルス在住の吉本博司アルトゥーロ(38=在米日系ペルー人=三世)さんは「米国本土の日系社会とは比べ物にならないほど、ブラジルの日系社会は発展している、と短い時間で感じた」と驚きの様子。
 那須野実行委員長は「世代交代とともに変容しつつある各国日系社会は、我々の取り組みかたで将来は大きく変わるだろう。日系人の心を受け継ぐ努力の必要を働きかけたい」と話した。
 午後四時半にサンパウロに向かい、参加者たちは大きな収穫を得て満足した顔だった。