2007年7月26日付け
海外・汎米日系人合同大会を取材するためにパラグアイの「日系ジャーナル」=本社・アスンシオン=から編集長、高倉亮(りょう、30)さんと紀子夫人が十八日に来伯し、取材を終えて二十三日に帰国する直前、来社した。同紙は創業二十六年目、月二回発行の同国唯一の日本語新聞。
高倉さんは、若い世代とシニア世代がそれぞれの抱く将来の日系社会像を語った代表者会議が一番印象に残った、という。
「若い人から日本語しゃべれなくてもいい、という意見があって驚いた」。戦後移住者が大半を占めるパラグアイ日系社会では日本語教育に重点が置かれ、二世の日本語レベルが高いことでつとに有名。かく言う高倉編集長自身が二世だ。
「日系ブランドさえあれば日本語はしゃべれなくてもいいのか、という姿に疑問をおぼえた」という。十八年ぶりに訪れたサンパウロ市。そしてブラジル以外の日系社会の声を聞き、「各国の日系社会事情の違いを肌で感じた」と語った。