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伯軍事政権樹立の舞台裏=元駐伯米大使が回想=米政府「政変プラン」立案=赤の活動を逐次把握

2007年8月1日付け

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙七月十五日】リンコン・ゴードン元駐伯米大使(93)は十四日、一九六四年のブラジル軍部クーデターを回想し、米政府がブラジルの赤化活動を逐次把握していたと述べた。放置すれば、ブラジルは第二のキューバになると予感し「政変プラン」を立案した。しかし、米政府はブラジルの政治をコントロールしたことはなく、それをしていたなら軍事政権はかようなものではなかったという。また現在のブラジルも違っていたとみている。軍事政権は米政府の隣家のようなものという。同氏は現在「第二次大戦からラテン・アメリカの再建まで」を執筆中。
 次は軍部による政変の前後を供述する同氏の談話。
 【政変プラン】過激派によるブラジルの赤化運動の活動状況を米側はキャッチしていた。それで防止作戦を計画したが、独裁政権を意図したものではない。ただ政権交代によりゴラール大統領以外の人物に政治を執らせ、政策にまで干渉する考えはなかった。
 【ゴラール大統領】同大統領は義弟のブリゾーラ氏とは違い、政治力に欠けた。性格的な弱点を補うため独裁制を考慮それも左派独裁を望んだのが、ブラジルの軍部を刺激した。
 独裁政権が樹立されると、ゴラール大統領は独裁政権を仕切るタイプではないため、義弟のブリゾーラ氏が実権を握ると軍部は見た。軍部内に左派独裁ではなく、軍事独裁政権の樹立気運が浮上した。
 【ペロン政権】ゴラール大統領と海軍の式典に出席するため同米大使が同行した時、同大統領はアルゼンチン政府高官に同大使を紹介した。アルゼンチンにはペロン元大統領という英雄がいると同大統領が賞賛し、心酔者であることを暗示した。
 ペロン時代のアルゼンチンはブラジルより遥かに豊かで、一人当たり所得が西欧並みであった。民主政治を標榜する国の大統領が、ペロン崇拝であることで不吉な予感がした。ブリゾーラ氏なら独裁政治をやりかねないが、同大統領が、まさか独裁を夢見ているとは想像もしなかった。
 【ブリゾーラ氏とクアドロス氏】ブリゾーラ氏は、権力を駆使することに何ら臆しない。クアドロス元大統領の辞任を機に、ブリゾーラ氏は勢力範囲を広げるにも機敏であった。同米大使はクアドロス大統領の辞任で政治が混乱する中、駐伯大使に就任した。
 【カステロ・ブランコ大統領】同大統領は軍事政権の初代大統領に就任したが、任期内に独裁制を廃止する考えであった。しかし、周囲がそれをさせなかった。もし独裁廃止を決行するなら、同大統領は幽閉されるはずだった。辞任するより現状維持がよいと考え、軍部内で不穏な空気をかもしていた。
 【軍政下のブラジル】軍事政権は思ったより長かった。政治面では成功とはいえない。軍事政権末期では、軍政を率いた当事者ばかりでなく、軍全体に疲労感が見えたという。
 いっぽう公開された機密文書の中には、各所で米政府のクーデター関与が伺える。当時の駐伯米大使ゴードン氏の「ブラジル政変プラン」は、米政府に私案を提言し、ブラジルの憲政史に一幕を演じた。
 その一つは、ゴラール大統領の排除に軍部の武力介入も辞さない提言である。政変に際し、マジリ下院議長が臨時大統領に就任する予定であった。政治空白について米政府が、新政権に建設的かつ友情的に介入するよう進言した。
 ブラジルの政治家が対外的には値踏みされたようだ。ブリゾーラ氏は煽動家でブラジルのフィデル・カストロを自認。ペルナンブッコ州の元知事アラエス氏の妻は共産党幹部。同氏自身も共産党支持者。ゴラール大統領は共産主義者ではないが、共産党に便宜を図り、寛容であったなど。