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一つの時代が幕を閉じる=「ACM」上院議員、逝く

2007年8月8日付け

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙七月二十二日】アントニオ・C・マガリャンエス上議の死は、二つの意味で一時代の終焉を意味すると、サンパウロ総合大学(USP)政治学科のアブルシオ教授がいう。
 一つは過去五十年間、政治の節目に登場した政治家のエピソードに終止符が打たれたこと。もう一つは、地元バイーア州の発展を謳った同上議提唱のカルリズム終焉である。カルリズム現象は、同上議の政治力なくして継承できる者がいないようだ。同上議の政治信条は、二十一世紀のブラジル近代化に何か役立つにちがいない。
 同上議の行動は、ブラジルの政治システムでいつも注目される場所にいた。軍政時代は順風を受けて波に乗った。軍政が路線変更を示唆するころは、タンクレード・ネーヴェス氏に接近し、キーマンの地位を保った。続いてサルネイ政権安泰のため、政界の根回し役として活躍した。
 コーロル時代は、弾劾前夜まで側にいた。イタマル時代は微妙な立場へ置かれたが、自由前線党(PFL)とブラジル民主社会党(PSDB)の媒酌人として持ち前の政治力を発揮し始めた。それがカルドーゾ政権の誕生へつながった。
 第一次カルドーゾ政権は、同上議の全盛時代といえそうだ。大統領府へ息子を送り込み、遠隔操作でカルリズムの売り込みに精を出した。しかし、大きな転機が来た。息子ルイス・エドァルドの急死だ。息子の死は、同上議の政治信条にとって相続人の死だ。
 同上議は黒星もある。電子投票器の守秘装置を開かせたこと。ジャデル・バルバーリョ上議と争ったこと。そのため議員権はく奪か、上議辞任に追い込まれた。二〇〇二年に返り咲いたものの、同上議の失ったイメージは回復できなかった。その後、労働者党(PT)政権では野党へ回り、国家プランの中で戦略的地位を失った。これでカルリズムに陰りが見えた。
 同上議の政治信条は、北東部への予算交付や連邦政府と地方自治体のパイプを保つことであった。これがバイーア州近代化の総合プランであり、同上議への地元支援の原動力であった。
 同上議の政治プロジェクトは、古い時代のコロネリズム(族長制度)で市や郡を支配し、バイーア州の近代化を図る構想であった。連邦政府と州政府の中に確固たる地位を築き、地元のマスコミも手中に治め、体制は万端であった。
 同上議はバイーア州の領袖であり、多くの政治家の卵を育てて政敵に対抗した。一族独裁主義でマラニョン州の近代化ができないサルネイとここで違った。同上議の近代化には、三つの特徴がある。地元の格差是正に寄与。連邦政府に依存。独善的であった。
 軍政には巧く取り入ったが、労働者対策はイマイチであった。しかし、将来のブラジルに役立つものもある。資産に固執する伝統的なブラジルの古い体質と戦いながら、地域社会の近代化と所得格差の是正に寄与したことだ。