2007年8月15日付け
【ヴェージャ誌二〇一八号】心理学の権威でハーバード大学のハワード・ガードナー教授(64)が来伯、「天性と統率力、ブラジル社会」と題して講演を行った。人間の知性とは、多種能力の集積という。能力は大別して、IQで表される論理能力、言語の表現能力、音楽の才能、肉体的能力、自然現象を関知する能力、人間の人柄を見抜く能力、人々を統率するカリスマ的能力、宇宙との交信能力の八種類ある。同教授によれば、ブラジル社会は能力を生かす人と才能を活かさない人の二種類で成り立っているという。
次は、同教授との一問一答である。
【人間の優劣】ピカソは色彩感覚で天才であるが、画家意外の能力は最低であった。人間の知性は複合体であるから、知者と愚者の区別は不可能である。ブラジルでは多くの場合、論理能力で人の優劣を決めるが、論理は優秀性を決める定義にはならない。
ほとんどの人は、ある分野では異常な才能を発揮する。しかし、別の分野では限定される。ブラジルに無能な人はいない。自分の能力を全く活かさない人も少ない。しかし、存在するのも事実である。
【人間の才能の可能性】東洋では、儒教の教えで天性よりも努力を大切にする。西洋では眠れる才能の開発と現状打開を重視する。科学は、知性が遺伝と経験の二つで成り立つという。どっちが、より大切かは分からない。
論理的判断と音楽的才能は、遺伝によるらしい。しかし、遺伝子と成長環境が、半分づつ人間の知性を形成する。知性は生まれた環境に関係がない。生家が貧しく、教育を受ける機会がなかったというのは言い訳だ。各自が成長の過程で、自分の脳細胞に知性を彫刻するものだ。
【知性育成の妨げは】第一は、生物学が平均寿命という誤った観念を植え付けた。第二に老齢。年をとると発想の転換が困難になる。基礎教育は二五歳までで、その後は博識になるが知性ではない。例外は統率力で、年の功がものをいう。第三は、専門課程の研究で資金難のために挫折を招くときである。
【貧困と知性の関係】生まれた環境が貧しければ、奨学のチャンスが少ないのは事実である。しかし、天性の観点から見ると、生来才能を備えていない者は優等生になれない。
英才を調べたところ、二つ以上の突出した才能を有する。数学的才能や芸術的才能、サッカーの才能など天性を持っている。ずば抜けた思考力や判断力、スポーツ神経もなく三六五日努力しても、ペレーになることはない。
【一つしか能力がない場合】一つで勝負するなら、数理的才能だ。世界の大部分の企業が、標準分析や数字操作、目標設定で求めている。それは単なる数学者やシステム・アナリストではなく、何にでも役立つ方法論を持つこと。考え方のロジックは、いつの時代にも求められた。
【二つ以上の才能を磨くなら】論理的思考力が、多くの分野を結びつける鍵になる。間違いは、成功の方程式をつくること。二つの才能を磨くなら、大望のけん引車になることを最善と思っても、不完全であることを認識すること。
【無能の上司に仕えるコツ】上司の多くは統率力に欠け、自分の能力を認識できない弱点を持つ。実力では部下より劣る。不足する能力を、傲慢と無知で補う。代表的例がブッシュ米大統領。側近らが無能大統領を支えている姿を見れば、自ずと上司に仕えるコツが分かるはず。
【知性とモラル】知性は、モラルの観点から見るなら無関係である。知性の最高峰に輝いた人でも、人生やモラルには何ら感銘を与えていない。人類の目的は、知性の探求だけではない。知性は目的のための燃料ではないか。
【学校と社会の知性】ブラジルを含む世界の大部分の学校で、前世紀の教育法を現在授けている。生徒に読み書きとコンピューターを最終目的のように教えるのは誤り。これらは、取り組むテーマを掘り下げるための道具に過ぎない。
【才能の発掘は】脳細胞を観察すると、八種類の才能は独立して存在することが分かる。これらの才能が、適当に混合して数々の形で能力を表すのだ。ブラジルでは残念だが、過去の科学が証明していないことを認めない。才能に関するブラジルの一般的見方は古く、IQで測れるものしか受け入れない。IQで測れない七つの才能は、認められず捨てられている。