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ブラジルの漫画の元祖=政治家、修験道、ジャーナリスト=多彩な経歴もつ瀬戸さん=日本流行りの基礎作った

2007年8月17日付け

 ブラジルの漫画の元祖、瀬戸クラウジオさん(63、二世)=パラナ州クリチーバ市在住=の人生をドキュメンタリー映画にする計画が進んでいる。そのタイトルもずばり『クリチーバの侍』(三十分)。禅宗の僧にして漫画家、ジャーナリストとしての著作もあり、俳句や短歌をたしなみ、盆栽、油絵まで多彩な才能をもつ瀬戸さんに、その秘訣を聞いてみた。
 生まれはサンパウロ州のノロエステ沿線ガイサーラ市。祖父が同地で造り酒屋をしており、その麹の仕入れに訪日した時に同伴した九歳だった瀬戸さんは、全国に三千四百もの末寺を持つ臨済宗妙心寺派の大本山「妙心寺」に修行に遣られた。
 三年後、九州・福岡の修験道(山伏)の拠点だった英彦山に移り、修行を続けた。十七歳で帰伯するまで、俳句、短歌、書道、華道、盆栽などに親しんだ。
 瀬戸さんが漫画を描き始めたのは六八年。翌六九年、サンパウロ州ガイサーラ市で市議に当選し、市議会議長まで務めた。七〇年にサンパウロ市の出版社Edrelから漫画『Maria Erotica』を発表、従来の子供向けから成人漫画も手がける。同じ頃に油絵も始め、七五年にはイタリアの国際展で受賞もした。
 創作を辞めた八五年頃までの間に実に五千ページを超える漫画を描いた。「今みたいなマンガ、アニメブームになることはとっくの昔に分かっていたよ」。その間、忍者や侍の雑誌も創刊した。現在全盛のマンガ、アニメなど日本のサブカルチャーブームの基礎を作った立役者だ。
 「あの頃はアメリカのコミック(アメコミ)調ばかりで、日本の漫画を書く人はボク以外に誰もいなかった」。子供の頃から漫画を愛読した瀬戸さんは、時流をとらえようとアメコミと漫画を混ぜた画風まで発明した。「みんなに、あいのこコミックスって言われたよ」と笑う。
 七五年にクリチーバに移り住んだ。八〇年頃にはブラジル版「トキワ荘」ともいうべき、全伯から漫画家を希望する若者を集めた「マンガ植民地」まで同地に作った。
 遠くはレシフェ、リオ、ミナス、サンパウロからも六人の同志が家族を連れて集まった。「今じゃ漫画を続けているのは一人もいないけどね。医者、技師とかになっちゃって」。
 創作を辞めて二十年が経つが、現在でもファンは多い。〇四年にはジャーナリストとして、クリチーバおよび沿岸部の日系移民史を書いた約五百頁のポ語著作『Ayumi-Caminhos da Imigracao』も発表した。干支(えと)を説明する本も出版しており、サブカルチャーから伝統文化までその守備範囲は広い。
 現在も地元伯字紙に勤務する傍ら、笠戸丸にみたてた宝船をイメージした、ユニークな同地百周年「IMIN100」のロゴマークも作るなど、同地日系社会の活動にも積極的に関わっている。
 昨年はサンパウロ州ガイサーラ市でコメンダドールの称号を、今年三月にはクリチーバ市の名誉市民章を授与された。
 ブラジルにマンガを広めた立役者。一般にマンガが広まる遙か前に一時代を築いた瀬戸さんの取り組みは、今こそ評価されてもいいかもしれない。