2007年8月22日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙七月一日】ニューヨーク大学出版部から「最果ての地ブラジル」が発刊された。同書によれば、ブラジルは一八三〇年から六〇年ころ、米国経済の安全弁的役割を担っていた歴史的記述が公開され、読者を驚かせている。
四大陸にまたがった米国の奴隷取引は領土拡張を兼ね、ブラジル北部地方をも勢力圏に入れた歴史的背景があったらしい。著者はヒューストン大学のジェラウド・ホーン歴史学教授で、アフロ・アメリカ文化の権威である。
奴隷取引が、南北戦争の前後で米国の病根になったと説明をする。米国の南北格差はこの時代から始まり、ブラジルの王室が奴隷取引の太いパイプとして米国の歴史に深く関わったというのだ。当時ブラジルの王室は米国政治で南北両派の仲介役となり、ある時はハケ口として重要な役目を果たしたという。
思想的に成熟していた米国にとってブラジルの王室は、文化が遅れ共和制など影もない雑種民族を統治する未知数国家であった。南北戦争に敗れ領土獲得が願望であった米国南部派にとって、低開発国ブラジルは羨望の的であった。
米国では禁じられた奴隷取引が、ブラジルでは最盛期にあった。米国から逃れた南部派は、新しい開拓地としてブラジルに根を下ろしていた。ニューイングランドに本部を置く北部派は、捕鯨船を装ってブラジル偵察に訪れた。ブラジルは、南部派の開拓拠点であると一行は報告した。
南部派がブラジルで継続した奴隷使役は、違法行為として北部派が取り締まった。ブラジルの地で奴隷使役を巡って、南北戦争は続いていた。ブラジルに植民した南部派は、アマゾナス地域の占有と併設をも計画していた。またブラジル人が、米国の捕鯨船を装ってアフリカ船籍の旗印で奴隷取引を行っていた。奴隷売買は当時、最も利益の多い商売であったようだ。