2007年8月28日付け
「千葉県人としての誇りを共有していきたい」―。千葉県人会創立五十周年記念式典が文協ビル小講堂で二十六日午前十時から、華やかに執り行われた。約三百人が出席。母県から訪れた堂本暁子知事、八人の県議、四人の市町長、地元企業代表者ら四十三人の慶祝団が共に喜びの日を祝った。国内からは、ウィリアン・ウー、飯星ワルテル両連邦議員、羽藤ジョージサンパウロ市議、丸橋次郎首席領事や各県人会長らも出席。県人会の悲願だった会館建設の起工を原島義弘会長が高らかと宣言した。県人会半世紀の歴史を伝える記念誌も同日発行されており、過去を見据えつつも新しい県人会の第一歩を踏み出す記念すべき式典となった。
先亡者の霊に一分間の黙祷を行い、日ブラジル歌の斉唱が行なわれた。
来賓の紹介のあと、原島会長はあいさつのなかで、同式典を「記念誌の発刊と、会館建設が始まる意義深いもの」と位置付け、県人会の歴史を振り返りつつも「次世代に会の意義、母県との繋がりの大事さを伝えていきたい」との決意を誓った。
堂本県知事は、会関係者に敬意を表し、「(県系子弟らと)県人としての誇りを共有していければ」と県と県人会の新たな交流、協力関係を強調した。
田久保尚俊県議会議長、同県議会ブラジル友好議員連盟の河上茂会長らがそれぞれあいさつ。
ブラジル側は上原幸啓文協会長、ウー、飯星両連邦議員、羽藤市議らが祝辞を述べた。
続いて、原島会長が県人会会館建設起工宣言を行い、県とブラジルを繋ぐ交流拠点のスタートが切られた。
〇五年に県人会がジャバクアラ区に土地を購入後の昨年七月、県側では友好議員連盟、商議所連合会が中心となり、「ブラジル千葉県人会設立五十周年記念事業協賛会」(河上茂会長)が発足。県民、県内企業などから五千万円を超える資金が集まっており、まさに母県と県人会が一体となった交流拠点となる。
河上会長から目録が手渡され、会場からは大きな拍手が送られた。続いて、堂本知事から、県、議会、市長会、町村会、袖ヶ浦市の寄贈によるパソコン一式の目録が贈られた。
続いて、記念誌「ブラジルの千葉」の編纂委員長の馬場進さんが功労者に選ばれ、五十七人の高齢者表彰も行なわれた。
県人会からは、慶祝団に記念品が贈られ、九四年度県費研修生、三瓶マウリシオさんが百二十一人の留学生・研修生OBを代表し、あいさつを行なった。
高梨一男・記念行事執行名誉委員長の発声により、万歳三唱で、「千葉万歳」の声が響き渡った。
会場を移し、記念祝賀会が催され、堂本知事、原島会長によるケーキカット、千葉の銘酒「坂東太郎」の鏡割りが行なわれ、出席者らは歓談を楽しんだ。サンバの踊り子たちが登場、知事らが朗らかな笑顔でステップを踏み、会場を沸かせた。
アトラクションでは、県人会婦人部の団舞、里見流家元の里見香華さんが日本舞踊の華麗な舞を披露した。
「パイプ太くなった」=知事らが慰霊碑に参拝
堂本知事ら四十三人の慶祝団は二十七日午前、サンパウロ市イビラプエラ公園内にある開拓先没者慰霊碑に参拝、献花を行い、線香を手向けた。
堂本知事は今回の訪問について、「日伯のパイプが太くなったのでは。様々な分野で活躍しているみなさんに故郷、千葉という『根っこ』は押さえていますよと示していきたい」と話した。
今後の留学生、研修生制度再開について、「財政的に厳しいが、そういう形での交流は大事だと考えている」とニッケイ新聞の取材に答えた。
その後、一行は日本館などを見学した。堂本知事は市内視察などを行い、二十八日帰国の途に着く。