2007年9月5日付け
【フォーリャ・デ・サンパウロ紙八月十九日】ダッタフォーリャの調査によれば、裁判官と一般市民の考えには、大きな差があるようだ。裁判官にとってサッカーは男の中の男の競技で、ホモがすることではないと思っている。
ところが一般市民は、ホモでもいいじゃないかが七九%もいる。しかし、リシャリソン裁判官はホモの競技参加を禁じ、七月五日に告訴すると声明を発表し、TV番組に出演したパウメイラのサッカー選手をけん制したらしい。
サッカーの観衆はホモを全く意に介していないのに、審判が差別したら偏見か社会が遅れているかどっちかだ。一般市民は、政治家がホモでも一向に差し支えないし、思想的にも容認できるという。容認できない人間が排斥される。
自分の愛する子供がホモであったら、どう思うかと同一人物に質問した。それは容認できないらしい。夫が結婚後,様子がおかしいという妻の苦情がある。最初は友人と思って、相手を家庭内に迎えた。二人は応接間で、アナルセックスを始めたので驚いた。
一一種の職業でホモを容認できるかと、質問したら次のような回答であった。容認できるという職業は、教師や教授が八二%で、この職種は性的に無色だという。一般市民が拒否反応を見せたのは、聖職者に対してだ。ホモの神父や牧師は拒絶された。
性別に見ると女性の八三%が容認で、ホモに対して偏見が少ない。男性の容認は七六%。回答者のうち男の中の男、女の中の女と答えたものは九四%。四%が無回答、一%が両性。しかし、この数字は現実を反映していない。
サッカー選手や教授にホモ容認が高いのは、社会的対応性が高く性的魅力には関心がないから。聖職者のホモが拒絶されるのは、聖職者の伝道能力よりも道徳性が要求されるから。神父の独身主義は、性欲を超越するためらしい。