ニッケイ新聞 2007年9月11日付け
ブラジル日本商工会議所の元事務局長代行を務めた他、長年にわたって邦字紙で翻訳業務に携わってきた麦喜久夫(むぎ・きくお)さんが肺炎のため、八日午後三時過ぎ、サンパウロ市近郊のマイリポランにある別荘で亡くなった。享年七十九歳。
宮城県出身。一九二九年に家族に連れられて二歳で渡伯。最初はサンパウロ州ノロエステ線カフェランジアに入植後、バストス市に移った。
五一年頃に出聖し、最初は南米時事に務め、五〇代半ばから日伯毎日新聞の植字工を経て、パウリスタ新聞で翻訳業務を担当。その後、PUC(カトリック大学)で苦学しながら五十歳で法科を卒業。同時に、七〇年から八七年まではブラジル商議所の事務局長代行を務め、機関誌「ブラジル経済情報」編集も行った。
八〇年代末から再び日伯毎日新聞で翻訳に携わり、九七年からサンパウロ新聞に移っていた。同編集部によれば、直前の六日まで通常通りに勤務していた。
九日にサンパウロ市ビラ・アウピーナ墓地で葬儀がしめやかに執り行われ、火葬された。初七日ミサは十四日夜八時からサンパウロ市内のノッサ・セニョーラ・ダ・サウーデ教会(Av.Domingos de Morais,2387)で行われる。