ニッケイ新聞 2007年9月12日付け
新聞記者の麦喜久夫さんが、サンパウロ新聞社勤務を最後に記者生活を閉じた。享年七十九。頑健な人だったが、晩年はたくさんの病気を抱えていたようだった。
新聞社では、もっぱら翻訳(ポ語→日語)をしていた。子供移民で晩学で弁護士になった人だ。伯字紙や雑誌を裏の裏まで読み、意訳して日本語新聞の記事とした。「これでもか、これでもか」と凝るところがあった。それは〃麦節〃(むぎぶし)ともいうべき独特の文章、解説になり、ファンも少なくなかった。
商工会議所勤務のころは、会員への活字による「情報流し」が仕事だった。自身の力量が会員に十分にわかってもらえていない、ともどかしがっていた風があった。自身を他人向けに変えようとしない姿勢が災いしていたのかもしれない。
人情味の濃い、異色の邦字新聞記者をなくした。惜しい。 (神)