ニッケイ新聞 2007年9月18日付け
【リオ発=池田泰久記者】リオで開催された第二十五回世界柔道選手権で、男女を通じて同選手権史上最多の七度目の優勝を飾った谷亮子選手など、最終日に三個の金メダル攻勢でかろうじて国別メダル数で一位になり、〃本家〃の面目を守った日本。だが、北京五輪を翌年に控えた段階での成績としては、まったく期待されたものではなかった。一方、予想を上回る金メダル三つを獲得して二位に大躍進して開催国の面目躍如したブラジル。伯字紙は「柔道における日本の影響に文化混交が王手をかけた」などの記事がでるなど、来年に向けて拍車のかかった格好だ。
金三つ、銀二つ、銅四つの計九つでは、大会前に「全階級制覇」を狙っていた日本勢の意気込みからはほど遠い戦果だった。
女子四十八キロ級の決勝でヤネト・ベルモイ(キューバ)を破って二大会ぶり七度目の優勝を飾った谷亮子選手は金を決めた直後、「予選から、決勝で当たってもおかしくない選手ばかりだった。二年に一度のこの大会で、十四年間チャンピオンでいられたのはハッピー」と満面の笑みだった。
谷選手に続いて男子無差別級で金を取った棟田康幸選手は、「誰もが認める強い柔道家を目指したい。世界選手権ぐらいで両手を上げて喜んでいられない」と話したほか、同じく金を獲得した塚田真希選手は「決勝戦は気力で戦った。金はとても嬉しい。反省は家に帰ってからにしたい」と述べ汗を拭いながら多数の報道陣の取材に力強く応えていた。
十七日午後に地元日系団体がひらいた懇親会で、日本男子代表の斉藤仁監督は「結果的によくなかったので、もう少し頑張らねば。北京では何が何でも勝たなければならない」とガラガラ声で話した。
一方、大会直前には「色にかかわらずメダルを獲得して欲しい」と取材に答えていたブラジル男子代表の篠原準一(三世)監督。結果は誰も予想しなかった金三つ、銅一つ。
「一つは金を取れると思ったけど、こんなに良い成績になるとは思わなかった」と篠原監督は声を弾ませ、「来年北京オリンピックでもメダルが取れるように、また研究をしっかりしたい」と顔を引き締めた。
大会開始当日、十三日付けエスタード通信は「柔道における日本の影響に文化混交が王手をかけた」と今選手権でのブラジル勢の大躍進を示唆する記事を掲載した。日本の技術と欧州のパワーがブラジルで出会って発展したというものだ。
記事では、南大河州都ポルト・アレグレ市の、一八六七年にドイツ体育協会として創立されたスポーツクラブ「ソジッパ(Sogipa)」で、ドイツ系メソッドを使った訓練を積むジョアン・レルレイ選手に注目した。結果的に今回、〇五年のカイロ大会に次ぐ、二連覇を達成し、その記事に信憑性を与えた。
一年半前にサンパウロ市からソジッパに練習場所を移したチアゴ・カミーロ選手(八十一キロ級)も、今回金メダルを獲得した。同記事中、カミーロ選手は「こっちの練習はとっても合理的だ。本番前の二週間は完全に身体を休める。今まではなら十五日前に練習しないなんで、さぼっているように感じたが」と違いを語っている。
加えて金メダルを取ったのはルシアーノ・コレア選手(百キロ以下)の三人。銅メダルは日本の井上康生選手を下したジョアン・ガブリエル選手だった。
地元開催とはいえ、金メダル数で日本と引き分け、三位のフランス、四位のキューバという強豪をおさえて堂々の二位だ。北京五輪に向けてブラジル柔道に拍車がかかった。