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蒼鳳25周年、飯島さん社長引退=遍路巡りで新世界模索へ

ニッケイ新聞 2007年9月22日付け

 根っこを築いたので、その上にすばらしい建物を建ててほしい――。十五日に五十七歳の誕生日を迎えた「蒼鳳」の飯島秀昭社長は、同社の創立二十五周年と同時に引退を発表した。日本とブラジルでの生活時間が同じになるという今年、飯島さんは会社を離れ、四国八十八カ所巡り(遍路巡り)に出掛けるという。二十八歳でブラジルに渡り、二十七店舗、三アカデミーを持つブラジル第二位の美容院を築き上げた飯島さん。自身の教訓を記した著書「僕のブラジル武者修行」のポルトガル語翻訳本「O SAMURAI DAS TESOURAS」を出版し、新たな人生の門出を決めた。
 「『捨てなければ得られない』っていうでしょ。二十八年前に全てを捨ててブラジルへ来た。さらに(自分が)大きくなるためにここを離れる。新しい世界が開ける気がするよ」。
 一九八二年、飯島さんは三十一歳で蒼鳳の起点となる「カマリンヘアサロン」を開店し、その後次々と店舗数を拡大。現在まで約千人のプロ美容師を抱え、十四人の共同経営者とともに運営を行ってきた。
 「旅立ちの不安はあるけれども、新境地への期待も半分」と引退の心持ちを語り、「全ては根が基本なので、自分が作った根となる考え方を守りながら、その上にどんな素晴らしい建物を建ててくれるのか、楽しみにしている」と今後の蒼鳳への希望を話した。
 翻訳本「O SAMURAI…」については、「ブラジル人に読んでほしい。日本的な見方をよく知ってもらえるだろう」とし、自分の人生を振り返った「よりドキュメンタリー的な実録を記した本」を準備中で、来年早々にも出版する予定だ。
 飯島さんの引退後は、息子の大さん(32)が蒼鳳社長に就任。大さんは「責任はあるが、仲間がいるので不安はない」と話し、「会社の芯でもあるフィロソフィーを保ち、人間を育てることを大事にしながら、店のマネージメントなどを新しくしていきたい」と抱負を述べた。
 十六日には、蒼鳳創立二十五周年記式典がホテル・グラン・ハヤットで行われ、関係者五百人近くが参集。グループ「ひまわり」の太鼓の演奏で始まり、同社の歩みや飯島さんの人生がスライドで紹介された。
 「二十五年前に蒔いた種が成長し、花を咲かせ、よき実となった。そろそろ新しい世紀を始めてもいいだろう」と大さん。これまでの功績を称えて、飯島さんに金の像が贈られた。
 記念の節目には、日本から、飯島さんの知人や美容師ら五十五人が参加。旧友の利清二郎さんは「まだ早過ぎるよね」と飯島さんの引退を惜しみ、日本で飯島さんと働いたことのあるスタイリストのカズさん(ニューヨーク在住)は「飯島さんは昔から人を惹きつける人望があった。外国では言葉、習慣とマイナスから始まって今に至っている」と尊敬の念を表し、「別の分野でも頭を出していける。人のため、社会のためにと、お元気で」とエールを贈っていた。