ニッケイ新聞 2007年9月25日付け
【プレジデンテ・プルデンテ】各地で来年の日本移民百周年に向けた準備が進んでいるが、プレジデンテ・プルデンテも例外ではない。同地では、今年六月、市と四つの日系団体、農村体育文化協会(ACAE)、ヴィラ・インドゥストリアル文化体育協会(ACEVI)、沖縄文化協会(ACEO)、友協組が一緒になり、百周年委員会(纐纈俊夫委員長)が立ち上げられた。節目の年を祝して、既存の桜公園を、日本庭園に作り変える企画があり、すでに工事が始まっている。「五十周年、七十周年の記念碑なんかも全部ここに集めてまとめようと思う」(委員会)。公園は移民ゆかりの場所となりそうだ。
一九一八年に入植が始まったプ・プルデンテ(ソロカバナ邦人発展誌「極光林」より)。現在、約二千家族の日系人が同市に在住しているとか。纐纈さんは「昨年くらいから百周年ということで動き始めて、この八月から工事しています」と説明する。
桜公園は、広いスペースに梅の木などの木が多く植えられ、その間に歩道が敷かれている。名前の由来は、移民七十周年祭で同公園内に桜が植樹されたことだが、気候に合わなかったためか枯れてしまい、今ではほとんど残っていない。
「日本庭園にするには、小山を沢山つくって庭石を置くんだよ」と、造園師の水川昇さん。現在、公園内のいたるところに赤土が詰まれ、丘陵のある日本庭園を想像させる。
入り口付近には新たに鳥居を建て、その先には、自然石に板石をはった百周年記念碑を置く。以前噴水があった公園の中心部には五重塔を作り、周りを花壇で飾る。反対側には石を敷いた枯れ池を再現し、日本橋を渡す予定だ。
中央公園に設置されていた移民五十周年記念の石燈篭、記念碑、七十周年記念碑や一九六〇年の愛知県知事、福島県知事来伯記念碑なども、すでに桜公園に移動し、分散させて置かれている。
「あと四十日くらいで完成しますよ」と水川さんは笑顔を見せる。五重塔の型とりをした斉藤ルイスさん、市職員のリカルド・ヴァルデミロ・ニコルシさんも毎日の作業を見守っている。
「費用の七、八割を市が負担して作ってくれます。コロニアからは二、三割分、五万レアルくらいを集めなくてはいけません」と纐纈さん。資金の調達はこれからも続くが、順調な工事の進み具合に、関係者は満足そうな表情を見せていた。
庭園は来月に完成し、来年に入ってから花壇を整備する。六月十八日にイナウグラソンをしたい意向だ。