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サンパウロ日本人学校40周年=寸劇で初期移民の追体験も=全校サンバで元気よく合唱

ニッケイ新聞 2007年9月25日付け

 サンパウロ市カンポ・リンポ区にあるサンパウロ日本人学校(志佐光正校長)は四十周年を迎え、二十二日午前八時から同校体育館で記念式典を行った。毎年行われているカンポ・リンポ祭とあわせて開催され、父兄や関係者、全校児童・生徒含め約四百人が集まり、楽しく和やかに一日を過ごした。
 式典には在サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事、文協の小森廣理事、援協の坂和三郎副会長なども出席した。志佐校長は「外国で経験したことを今後の皆さんの人生に生かして欲しい」と話した。
 今年のカンポ・リンポ祭のスローガンは「光の翼で扉へ向かえ 鍵は僕らの手の中に!!」で、各学年の児童・生徒たちがスローガンにそったアトラクションを披露した。
 中学部の生徒による「語り継ぐ」の劇では、同校の歴史を写真スライドに映して表現。続いて小学部一、二年生による群読「まつりだ!アパレシーダ!」では「ワッショイ! ワッショイ!」と元気のいい声で叫び、途中「風になりたい」を歌い、保護者らを楽しませた。
 小学五、六年生による寸劇「サ日校移民伝説」では、生徒数名が移民初期の時代にタイムスリップし、そこで感じた移民の苦労や働いて家族を養うことの大変さを感じ、元の世界に戻るというストーリーだ。それを見た小森理事は「非常に良かった。子供たちに移民のことを教えるのは大切だ」と感想を語った。
 お昼休憩の前には全校児童・生徒による「全校サンバ」が行われ、「パラベンス!クァレンタアーノス!」と全員で叫んで、ブラジル音楽二曲を全員で合唱。タンボリン、パンデイロ、カイシャなどのブラジル楽器を打ち鳴らし、保護者らはリズムにあわせて手拍子で応じ、会場の熱気は絶頂に達した。
 坂和援協副会長は「全体の調和と皆の連帯感が取れていて、素晴らしかった」と賞賛した。午後からは児童、生徒、保護者有志による模擬店、流しそうめんなどが行われた。
 今回に併せて記念誌を発行した。内容は在サンパウロ総領事館、同校長などの祝辞のほか、同校の歴史、各児童・生徒による将来の夢が書かれた文章が掲載されている。
 一九六七年八月十四日、四十年前に創立された同校は、日伯文化普及会(現・日伯文化連盟)の借り教室に二十八人という少人数で始まった。七〇年代から八〇年代前半にかけては、日本企業の進出ブームを受けて、生徒数は急増し、千人弱の生徒を教育する場として賑わった。しかし、企業の撤退とともに生徒数も減少。現在は約百七十人の生徒が通っている。