ニッケイ新聞 2007年9月26日付け
【ヴェージャ誌二〇二四号】今回の金融危機の大口債権者は、なぜ銀行ではなく、年金ファンドやヘッジ・ファンド、民間エクイティだったのか。五世紀にわたって金融界を支配した銀行が、債権者の役から降りた経緯をハーバード大学のカニッツ教授が次のように説明している。
今回の金融危機の震源地は一九三三年に始まる。米政府は当時、銀行が能力以上の融資を行わないように数々の規制を設けた。それが長い間に変化したのだ。最後の変更はバーゼル合意書一号と二号である。
この合意書が、世界共通の融資規制とされた。銀行は資本金と内部積立金の十二倍を限度として、融資を許すというもの。しかし、これまでに度重なるインフレによって同規制は侵蝕され、激変する世界経済のために突飛で不可解な枠が必要になった。
銀行の融資力が著しく減退し、現実の金融情勢は期待する反対方向へ伸びた。銀行の純資産は最近二十年間に、ハイパーインフレにより一二分の一に激減。今年世界の平均インフレ率で見ても銀行は二〇〇八年、融資金二兆ドルが不足する。銀行はまだバーゼル合意書の時点にあるのだ。
銀行は、生き残るために本来の金融業から金融派生商品や保険業へ頭を突っ込むようになった。米国の銀行は〇六年、一五七兆ドルを派生商品へ投資し、融資は六兆ドルに留まった。今の銀行は昔の銀行ではないのだ。
ブラジルではバーゼル合意書が通用しなかった。米国のインフレが年間二〇%に達したとき、政府は銀行融資から二〇%の供託を命じ、外債危機を引き起こした。政府も銀行も一斉に海外での資金調達に走り、外国銀行もブラジルへ分不相応に貸し付けた。
ブラジルは、モラトリアムを宣言する代わりに決済期限の延長を要請するべきであった。ブラジルは、ハイパーインフレの修正と侵蝕を勘違いしたのだ。ブラジルは、世界に不要な心配をかけた。これは、ブラジルの経済専門家らの浅慮な過ちと言える。
中銀は一九九五年、インフレ侵蝕分の修正法を導入した。要するにインフレによる損失を銀行は金利ではなく手数料で稼げという。世界の銀行にその後、冬の時代が訪れた。銀行は方針を変え、これまでの引き締めから広く、ハイリスクな融資先を求めた。
国際金融も、従来の有力銀行一〇〇行から四万五〇〇〇のファンドと二〇〇〇万人の機関投資家へリスク分散を行った。しかし、ファンドは大量の不良債権を抱え、機関投資家はファンドの選択を間違えた。だが昔のような銀行取りつけによる恐慌が起きる可能性はないようだ。