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奥ソロ、プ・ベルナルデス文協=20、30、40代がいなくても=踏ん張るその上の世代=よく使用される会館=築70年超、改修目指す

ニッケイ新聞 2007年9月27日付け

 【プレジデンテ・ベルナルデス】サンパウロから西へ約六百四十キロ、奥ソロカバナのプレジデンテ・ベルナルデス。同地文化協会(ニシジマ・ミツユキ会長、52、二世)には現在、約百二十家族が登録され、目下、築七十年以上経つ会館の改修を目指している。新年会や母の日などの定例行事のほかに、シュラスコ会、焼きそば会、寿司の会などを実施し、資金集めを行っていく意向だ。多分にもれず勉学や出稼ぎのため、二十代、三十代、四十代がいない人的構成のなかで、その上の世代が踏ん張っている。
 プレジデンテ・ベルナルデスに最初の移住者が入ってのは、一九二三年。プログレッソ、サウダーデ、レプレーザなどいくつかの植民地が築かれた。「テーラがよかったからね。全盛期には五百家族くらいいたよ」と、三八年に入植した牧野正雄さん(85、一世)は振り返る。
 第二次世界大戦の勃発とともに、奥ソロのハッカ栽培発祥の地として栄えたが、その後は棉花や落花生の栽培、養鶏が行われてきていた。
 「最近、農業の仕事は本当に少ない。ゼロに近い」と、一年前に出稼ぎから戻った鬼丸イサムさん(59、二世)。作物もスイカやトマト栽培、あるいは土地を大企業に貸しての、さとうきび栽培に変わったという。
 現在の文協の活動は新年会に始まり、母の日、父の日、忘年会が定例行事で、イベントをすれば、百五十人から三百人が参集し、会館は人でいっぱいになるとか。そのために、古い会館の改修案が持ち上がった。
 ニシジマさんは「今は、トイレと壁を直すことが目標なんです」と、計画を説明する。
 街中にあり、広さ百七十四平方メートル、舞台とサロンがある平屋の会館。正確な設立年数は定かでないが、牧野さんが「入植した時にはもうあった」のだから、築七十年以上になる。四年前に、会館入り口部分とシュラスケイロを、三万五千レアルかけて増築している。
 今回は、「会をやるときには、皆が列を作って並んでしまう」という、男女各一室ずつしかないトイレの拡張がメイン。費用は三万五千レアルで、はがれが目立つ内壁の整備も進めたとしている。
 資金については「シュラスコ会を何回かやってね」と婦人部の物見智恵子さん(75、二世)。「駄目だったら、寄付も募ろうかと思います」と石田健一前会長(71、二世)。鬼丸さんは「できればサッカーコートも直したい」とひび割れたコンクリート敷きの屋外コートを指差して、先の展望を話した。
 同地では、二十年ほど前から出稼ぎの現象が著しく、文協には四十代がほとんどいない。また、二十代、三十代も仕事や勉強で街を離れている状況だ。
 石田さんは「青年がいないので、何とかつぶさないように続けようと頑張ってます」と文協の活動を話し、牧野さんは「若い人は社会的に活躍してて忙しい。引退すればまた戻ってくる」と力強く希望を話した。