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忘れられていた〃宅地王〃上利氏寄付の宅地=子孫が甦らせる=援協、望外の喜び=パラナグアの18ロッテ=40年前の厚意

ニッケイ新聞 2007年9月28日付け

 棚からぼたもちとはこのこと――。こう喜んでいるのはサンパウロ日伯援護協会の関係者。というのもこのほど援協に、戦前・戦後にかけてコロニアの〃宅地王〃として知られた上利新吉氏(あがりしんきち)の娘と孫が現れ、上利氏が生前援協に寄附するも、ブラジル人が勝手に移り住んでしまった宅地の土地代を回収したい、という思わぬ申し出があったのだ。この〃未回収の土地代〃はそっくりそのまま援協に寄附するという内容で、この話がうまくいけば、援協は十五万レアル近い臨時収入を得ることができそうなのだ。
 不動産業を営み成功していた上利氏は一九六八年、「パルゲ・アガリ・パラナグア」として同市に造成したばかりの宅地の一区画を援協に寄附した。この区画はそれぞれ三百平米の広さを持つ十八の宅地からできている。
 関係者の推測によれば、当時の援協は同地の寄附を受けたあと、南米銀行を通してしばらく土地家屋税を払い管理を続けていた。しかし「遠隔地のためか次第に支払いがとどこおり、結局、忘れられた存在になってしまった」。
 上利氏の娘で同じく不動産業に携わる上利オデチさん(七七)と、その息子のアレシャンドレさんが援協関係者に話した内容では、同地にはその後、「ブラジル人が勝手に移り住んでしまった」そうだ。これが現在でも続いている。
 今回二人は援協に話をもってくる前に、すでに同宅地の住人らとある程度の話をつけてきたという。「正式な地権を発給するから、未払いの土地代をオーナー(援協)に払ってほしい」という内容で、現在も交渉を続けているそうだ。
 その話では一軒あたり、八千レアルほどの土地代を払うことで交渉が進んでいる。その事務手続きは二人の会社で代行し、弁護士費用やその他の手数料などは、その半額分だけを援協が払えばいいという提案。手数料をざっと差し引いても恐らく、援協は十万レアル以上の収入が見込める。
 なぜ二人は今更こんな申し出を?――。上利氏の孫、アレシャンドレさんと直接話をした援協の関係者によれば、「尊敬する祖父の厚意を世間で忘れさせず大事にしたい」というのがその理由。同地の住人にとっても、正式な地権は以前から望むところだったことも背景にあるそうだ。
 ブラジルでは他人の土地でも五年間住み続ければ、そこに居住する権利が得られる。仮にその〃不法住人〃を追い出すとなると、逆に土地の所有者がかなりの費用を負担する。
 今回突然の申し出となった当の宅地については、現在の援協関係者も「まったく知らなかった」。そのためか「棚からぼたもち」と喜びも大きい。今後は二人の手続きの進み具合を待つことになるという。
 今年三月のパラナ新聞によると、〃宅地王〃こと上利新吉氏は、山口県出身で、十七歳のときにブラジル移住した。三二年からパラナ州ロンドリーナ市に移り住み、終戦後、同州パラナグア市郊外に二十一の市街地と六カ所の植民地を造成、宅地分譲するなどして成功した。
 五〇年からはサンパウロ市パカエンブー地区の高級住宅地で暮らした。学校や老人ホーム、病院の建設などにも協力したほか、不動産業以外にも絵画、写真、詩、旅行など文化活動にも造詣が深かった。
 七〇年、七十四歳で死去。上利氏の生涯については「ブラジル移民風雲録 宅地王 上利新吉」(牛窪襄著)という自伝史も出版されている。