ニッケイ新聞 2007年10月2日付け
大相撲の稽古は厳しい。峻厳である。子供のときに巡業を観た。あの頃は「部屋」が単位の地方巡業だったので小回りがきいて電気も無いような隣町の小学校に土俵を築き近隣の村人らが装いも凝らして駆けつけたものだ。お婆ちゃんは「相撲取りはチンチンが小さい」と語り合い大笑いしたが、あれは150キロ超かの巨体を見ての誤解であってやっぱり「大きい」▼そんな笑い話は置くとして―稽古の凄さと「ショッキリ」に観客らは「笑い」で包まれ―さながら村祭りの賑わいと胸裏に残る。小さな子どもだったけれども、相撲取りの稽古は人々を圧倒した。遯生が観たのは、高砂部屋の横綱・前田山、大関の佐賀の山だし、時津風部屋の大関・鏡里らだが、土俵は一つしかない。そこで―幕内や十両の稽古は石ころだらけの校庭(運動場)であり、そこえ弟子を情け容赦もなく投げつける▼3段目、序2段の若い衆は、それでも負けじと挑む。体は土埃になり汗は吹きだし傷まみれになる。今―思うと、あの命がけの土俵が力士を生み出す根源ではないか。この激しい稽古は「しごき」であって暴力とは異なる。今、話題となっている時津風部屋の時太山の死亡にしても、兄弟子たちの暴力だとすれば、真に遺憾とせざるを得ない。親方はビ―ル瓶で頭部を殴ったという▼もし―、中にビ―ルがいっぱい詰まったのであれば命を奪うこともあり、危険極まりない。それと、土俵に竹刀はつきものだけれども、金属バットで殴るのは如何なものか。と、あの「死の土俵」からは幾多の力士が生まれたけれども、いろんな「謎」も残っている。 (遯)