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帝政時代からの長い闘争=3回も米国と国交断絶

ニッケイ新聞 2007年10月3日付け

 【エスタード・デ・サンパウロ紙二十四日】米国の覇権時代が終わりつつあると政治学科外交政策のルイス・M・バンデイラ教授が次のように講演をした。米国が退却しつつある領域を、ブラジルが占領するチャンスが到来している。それは、ラテン・アメリカの左傾化ではない。
 ラテン・アメリカ諸国は過去において米国から熱湯を飲まされたので、米国依存から離れ一人歩きをしようとしている。ブラジルは帝政時代、三回も米国と国交断絶をした。
 対アルゼンチン戦争があった一八二七年、ブラジルは対米戦を経験した。米国は一八四九年、アマゾン川を侵略し、ブラジル軍が撃退した。一八六五年は対パラグアイ戦争で、また米国に宣戦布告をした。
 一九六四年と一九八五年には、ブラジルの工業化と近代化に米国が横槍を入れた。その米国にいま、疲れが見えてきた。ヴェネズエラのチャヴェス大統領は、大上段から米国に構えを見せた。それにモラレス大統領やコレイア大統領が反米路線で呼応した。
 ルーラ政権も左翼政権だが、ブラジルのお陰で南米の過激な左傾化は歯止めがかかった。ブラジルが左傾化の防波堤となっているので、米国も往年のような強硬路線を採らないし、昔のような元気もない。
 米国は南米に軍事政権の誕生を後押しし、安定政権の樹立を試みたが失敗した。その後民主路線に変更したが、それも芳しくなかった。そのため南米諸国は、米国の外交政策に嫌悪を感じ始めた。その先鞭を付けたのがチャヴェス大統領だが、同路線も追従する国は少ないようだ。
 ブラジルとロシア、インド、中国のBRICS諸国が米国に代わり台頭してきたが、米国は九兆ドルの債務決済で青息吐息である。ブラジルは、もっと自信を持つべきである。米国詣でで政策をたてた時代は、終ったのだ。
 ブラジルは一九五〇年、米国に依存したコーヒー輸出から工業化政策へ切り替え、工業製品の輸出で米国と摩擦が生じた。その摩擦が表面化したのは、クアドロス大統領とゴウラルト大統領の時代である。それで二人は、大統領の座から失脚させられた。
 米国はかつて、南大西洋の将来を心配していた。アンゴラやキューバの左翼政権と友好関係にあるブラジルは、南大西洋を領海内に取り込むと米政府が疑い始めた。ブラジルは当時、米国よりもソ連や第三国との同盟関係に力を入れていたからだ。ガイゼル大統領は、シオニズムは人種差別だとまで公言した。
 現在の世界情勢は、かつての米覇権時代から見たら、雲泥の差がある。まぐれ当たりか先見の明があったのか、ブラジルは輸出市場を広げ米国一辺倒から脱出した。米国発の金融危機を、もろに被ることもなかった。米経済の低迷を、ブラジルは克服できる下地ができたのだ。