ニッケイ新聞 2007年10月5日付け
麻生太郎元外務大臣の従兄弟が、プレジデンテ・ベルナルデスにいるらしい――。九月十二日に安倍晋三前首相が辞任を発表してから、同二十三日に福田康夫自民党新総裁が決まるまでの十一日間、一躍時の人になった麻生氏。八月に外務大臣としては九年ぶりに来伯し、現在も日伯議員連盟会長として、ブラジルとの関係は深い。若いときに一年間サンパウロに駐在していたことも明かされており、個人的にもブラジルとは縁がある。祖父は吉田茂元首相、妹は寛仁親王に嫁いだという華やかな家系を持つ麻生氏だけに、従兄弟がいるとの報に編集部は沸き立ち、その噂を追い、ようやく人物を探しあてたが…。
小泉純一郎元首相もサンパウロ市在住の従兄弟、井料堅冶さんがいたおかげで、日系社会に対するより一層の親密感を持っていたといわれる。麻生太郎氏が首相になった場合、その従兄弟がブラジルで活躍しているという事実は、日系社会に対する関心も高くなるのではないか―。そんな思いで関係者、知人、友人を手当たり次第にあたった。
プレジデンテ・ベルナルデスは、奥ソロカバナに位置し、サンパウロから西へ約六百四十キロ、プレデンテ・プルデンテから車で三十分強のところだ。現在でも約百二十家族の日系人が在住し、文協の活動が続いている(九月二十七日既報)。
「あ~、麻生さん? 麻生さんはベルナルデスにいますけど…」。同地文協の石田健一前会長(71、二世)に電話で確かめると、麻生氏の従兄弟と思われる人物、麻生忠氏は思いのほかすぐに見つかった。「田舎で大きな土地でもって牛飼いをしてますよ」。六十七歳の麻生太郎氏よりかなり年下で五十歳代とか。
事実を確認しようと、電話番号を探してかけてみると、男の人が応えた。単刀直入に、麻生太郎氏との関係を尋ねると、かなりの沈黙の後に、「そうだ、従兄弟にあたる。誰から聞いた?」。
ぜひ話を聞かせてほしい―。記者の取材申し込みに対し、忠氏は「来てもらっても話すことはない」と断言。「別に(麻生さんの総裁選出馬を)喜んでるわけでもないしね。年も違うし、生活も違う。従兄弟といっても遠い間柄だし、今、私は静かに暮らしている」。
今年の八月、麻生太郎氏が来伯した際にも、面会しませんかという話が総領事館からあったが、「私がわざわざ出ていくことでもありませんから」。移住前には「年に一回か三年に一回くらい(麻生太郎氏と)会っていただけだ」と話した。
確かに、麻生氏の従兄弟がいる―。忠氏は数日後から電話連絡が取れなくなり、かわりに二世の妻が「来てもいないと言っています。何かあるなら、伝言を残してほしい」と応じるようになった。
駄目元で記者はプレジデンテ・ベルナルデスへ急行した。夜行バスで八時間。降り立った同地のターミナルで石田さんが迎えてくれ、文協へ案内される。
実際、忠氏は自宅の農場を出てどこかへ行ってしまい、取材はかなわずに終わった。
「しかし、従兄弟だったとはビックリですな~」と石田さん。「一年前に会員になりたいって向こうから電話があったんですが、行事に来たことは一度もない」上に、文協会費の回収のために忠氏の農場を訪れるが「笑った顔は見たことがない」。現会長のニシジマ・ミツユキさん、他の会員らも首をかしげて、「知らない」「会ったことがない」という。
唯一、同氏が街に訪れたときには必ず立ち寄っていくという、友人の牧野正雄さん(85、一世)だけが「そういう男なんです」と豪快に笑っていた。
「話す人とは話す。そうでないと出てこない。僕からも記者さんに会うように言ったんですがね。どこへ行ったかは奥さんも知りません。二、三日は帰ってこないでしょうな~」。
牧野さんによれば、忠氏は二十代で渡伯。麻生太郎氏の父、太賀吉氏の兄弟を父親に持つ。その父が駐伯した時に共に来伯したらしい。一時、日本語教師をしていたが、プ・ベルナルデスに五十ヘクタールの土地を得て以降、ずっと同地に住んでいる。
牧野さんは「三十年近い付き合いですがね。賢い男なんですよ」と忠氏の人柄を紹介した。
忠氏は、現在も大きく牧場を営んでいるというが、「自分のことを話さない」ため、どれくらいの規模や内容で行っているのかは、牧野さんはじめ誰にもわからない。家ではよく日本の雑誌を読んだり、NHKを見たりしているそうだ。