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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第8回》=時節柄の政治資金捻出も=「俺が日本刀で叩き斬る」

プレ百周年特別企画

2007年10月5日付け

ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組
新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年
連載《第8回》=時節柄の政治資金捻出も=「俺が日本刀で叩き斬る」
外山 脩(フリー・ジャーナリスト)

 このX老人は、筆者が提示した草稿(本稿の序文と次項)の内容も片端から否定した。
 「(指導者が)昔は居たものだが……」という部分を「指導者なんて昔も居なかった。皆、二、三年したら、日本に帰るつもりでいたのだから。一万円儲けたら帰ろうと競走していた」と。
 「下元健吉は、同志と共にコチアを創立した」を「下元に同志など居なかった。彼は孤独だった」と。
 「下元健吉は一個の新社会を建設しようとした」も「そんなことは絶対ない。教育レベルからして、ない」と。
 さらに、こうも言う。
 「創業後十年、下元の地位は安定してはいなかった。コチア内部には鹿児島県人も多く、その中に鳥原巳代治という男がいて、理事になって居た。高知県人と鹿児島県人の間には暗黙の対立があった。鳥原が日本へ帰って、下元の地位が確固たるものになった」。
 X氏の、これらの論のすべてについて一々詳しく吟味する余裕は、ここにはない。が、久保の投稿と照合すると、参考になる話が多い。
 ただ幾つかの点を補足しておく。──まず暴言について言えば、当時、日本の農山村から少年期に移住してきた人々は、荒々しく話す習慣を大人になっても、持ち続けた。全部ではないが……。中には、激すると、自分の真意とは反対の暴言を、吐いてしまう者もいた。
 下元には、そういう短所があった。その種の事例は、他にもある。
 暴言が暴行に変化する癖も、同様であった。
 例えば──一時期理事を務めたこともある──川上嵩が、あるとき何かのことで怒って、下元に灰皿を投げつけた。それを下元はヒョイと首を逸らしてかわし、後はケロリとしていたそうである。
 そういう荒々しい言動が流行った時代でもあった。
 ブラジル人理事たちに関しては、女性問題を論ずれば、日系二世の理事にも波及してしまう。しかも、彼らは、日本人一世とはモラル感が全く違った。
 金銭問題は、時節柄、コチア存続を図る政治資金の捻出だった可能性もある。
 下元は、彼らブラジル人役員を起用するに際し「実権はワシが握る。連中が、組合を食ったら、俺が日本刀で叩き斬る」とある高名な組合員の前で言った、という証言もある。
 政治資金でなく、彼らが自分の懐に入れていたとしたら、下元が戦後も彼らを役員として引き止めることはありえなかった筈である。
 この政治資金は、共同計算制で販売した出荷物の代金からコッソリ一㌫とか二㌫抜いて捻出したという説もある。(その分、組合員の受け取り分は減る)
 政治資金についていえば、下元死後のことだが、コチアの職員が、しばしば首都のリオへ運んでいたという。その当人から、聞いた話である。
 そういう事は、いつの時代でもあったことであり、戦時中であれば、さらに頻繁であったろう。
 無論、彼らブラジル人役員が全く清潔であったなどと言うつもりもない。多少のことはあり、下元も知っていたかもしれない。ただし、これは推定である。
 筆者の草稿に対する批判について言えば、X老人の「指導者なんて……云々」は、戦前の、しかも移民に限定しての話であろう。戦前でも移民以外の邦人の中から指導者は出ている。それと、筆者の書いた「昔は……」という表現は無論、戦後も含めている。戦後は移民も帰国から永住へ考え方を切り替え、指導者も多く生まれていた。
 「下元に同志は居なかった…云々」の部分であるが、筆者が「同志と共に組合を創立」と書いたのは、発起人会のメンバーが十人居たことを思い出して、そうしたに過ぎない。
 またX老人は、下元の新社会建設を「そんなことは……云々」と真っ向から否定しているが、新社会建設構想は、下元の書いた文書の中に詳しく記されていることである。それと新社会建設と教育レベルは、何の関係もない。
 コチアという一個の社会、コチア人と呼ばれる人々が現に存在したことは、往時を知る人なら、誰で認めることである。
 X老人の話は興味深いが、どうも自身が在職していた時期(一九三五―一九四五)の記憶にのみ頼っている印象を受ける。
(つづく)