ニッケイ新聞 2007年10月16日付け
飛行機の発明は誰か?ライト兄弟の回答が多いけれども、いやサントス・ズモンだと主張する向きもいる。この判定は難しいけれども、日本にも江戸の頃に表具師幸吉という機械好きがいて木製飛翔装置を考案し、岡山城下にある旭川の河原で飛んだとされる。幕末から明治にも、なかなかの人々がいたし、ライトにはお及ばないにしても、かなりいい線を行っている▼これらの技術は連綿と伝えられ戦前の「ゼロ戦」や「隼」「紫電改」「飛燕」という名機を生み出してゆく。ところが、戦争が終りGHQの支配が始まると、飛行機製造禁止令が発せられ、日本は頓挫する。それでも、「ゼロ戦」や「飛燕」を設計した技術陣は、東条英機首相の次男・輝雄氏(後に三菱自工会長)の指揮で苦心惨憺しながら戦後初めての旅客機「YS11」を飛ばし、世の人々を驚かせた▼YS11は、ブラジルにも来たし、駆け出しの頃に取材もしたが、確か「サムライ」の名でサンパウロ―リオを飛び好評であった。あれから40数年―。YS11も製造を止め日本は寂しい想いをしていたが、三菱重工が経済産業省と共に「MCJ」の開発に成功し、販売を始めた。低燃費・低騒音が売り物で60―90席のジェット機。30―40億円で1000機を売りたいと三菱重工は元気がいい▼ブラジルが製造する航空機と競合するけれども、今後二十年で90席クラスの国際的な必要量は五千機だそうだから―それほど心配することもなさそうだ。そして―。日本の技術者が知恵を絞った「MCJ」が南米の大空に翼を広げ堂々と飛行する姿を楽しみにしたい。 (遯)