ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | ブラジル人は変化を嫌う=今は新時代の過渡期=先進国並み高齢化と少子化=法律の前に国民は不平等

ブラジル人は変化を嫌う=今は新時代の過渡期=先進国並み高齢化と少子化=法律の前に国民は不平等

ニッケイ新聞 2007年10月17日付け

 【エザーメ誌九〇三号】カルドーゾ前大統領は過去四〇年、ブラジル史を飾った重要人物の一人といえそうだ。活躍の舞台は社会学教授から始まり、政治家へ転身すると日の当る道を歩み、ブラジルに素晴らしい変革をもたらした。前大統領は、二〇〇七年が過去四〇年で最も恵まれた年であったが、さらに前進するためには、ブラジルにも文化革命が必要であると次のように述べた。
 ブラジルが一九七〇年、W杯サッカーで優勝したときの人口は、九〇〇〇万人であった。それが現在は、二億人。かつては人口の五五%が地方に暮らしていた。地方の人口は今、一六%に過ぎない。一挙に大勢の人々を迎えた都市は、受け入れ態勢が整わず、多くの市民に不満を与えた。都市計画は現在、政府の頭痛の種である。
 もう一つの問題は、老齢化と少子化である。女性は四〇年前、平均六人を出産した。現在は二人だ。ブラジルの産業は一九七〇年、奇跡の発展を遂げ就職に困らなかった。それが石油ショックとともに、投資の激減と就職難、民主化運動が同時に起こった。
 全ては、音をたてて変わった。ブラジル人全員が、進学するようになり、大学も多数設立された。各家庭には電化製品が並んだ。一方では政府が産業重視のあまり、社会政策を怠り経済的困窮が社会を襲った。公共投資は頓挫、インフレは荒れ狂った。
 ベルリンの壁が崩壊した一九八九年、ブラジルでは三つの改革に挑んだ。民主化を進めながら、社会の要求に応え経済再建と近代化に取り組み、世界経済の波に乗ることであった。ブラジルは、恐れ慄きながら市場開放も行った。
 ブラジルは、見事に市場開放の難関を乗り越えた。ブラジル国民は、成長した。しかし、いまから三〇年後、高齢化と少子化現象が起きるから、経済成長率を五%以上に保たねばならない。懸念することが、もう一つある。民主化の骨組みはできたが、民主主義の精神が、今一である。
 民主主義の精神が浸透していないのは、国民全員が法律の前に同等ではないからだ。民主主義が基本的な部分で、よく理解されていない。政府機構が水ぶくれのように太り、汚職傾向が益々強まっている。監督機関の庁や局は、党の道具となってしまった。
 教育や医療、貧困者対策が、どれも質的に低下している。貧困対策として前政権は最低賃金を年々四%調整と決め、農村労働者には全員一最低賃金を年金として与えた。そこへ生活扶助金が上積みされ、ガス援助金や食料援助金、奨学金、児童労働代替金等々。際限のない扶助金は、確固とした資金源が必要だ。
 偶々ブラジル経済は、好調であったから扶助金配布ができたのだ。本来なら生活扶助金は、就職あっ旋に代わらねばならない。寝て暮らすことではなく、起きて働くことを奨励しなくて社会政策ではない。生活扶助ができるのは、市場開放によってブラジルの産業が試練を克服したからだ。
 ブラジル人は、消極的である。中流階級は、保守的である。しかし、時代の変遷が惰眠をむさぼる人々を、寝床から放り出す。大卒で公務員に就職し、高額年金で定年になる時代は終わった。現代は苦学生が中流階級を占め、新しい職業を開拓している。
 ブラジル人は、頭を切り替える必要がある。ブラジル人は生来、変化を嫌う。事業家は政府の保護を求める。クビを切られない公務員に就職し、寝て暮らす。政治家は、選挙基盤を脅かす資本主義を嫌う。有識者は、伝統と言葉のアソビで時間を弄ぶ。空想のユートピアを叫ぶMSTを、誰が養うのか。かれらは、ヴァルガス元大統領が提唱したおみこし担ぎで、見越し棒を担ぐふりをして、ぶら下がろうという魂胆なのだ。