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「ふるさとは何度来てもいい」=熊本使節団78人が母県へ=百周年前に交流ふかめる=「移民の父」の銅像、伝記も=来年は熊本からブラジルへ

ニッケイ新聞 2007年10月18日付け

 【東京支社=藤崎康夫支社長】ブラジル移民百周年を迎えるにあたって母県の交流を深めようと訪日した、「熊本県・ブラジル交流親善使節団」(団長=福田康雄県人会長)一行七十八名が十日夜、熊本に到着。十三日までの日程で、〃移民の父〃上塚周平の銅像除幕式や熊本城築城四百年祭などの諸行事に参加した。熊本県の百周年実行委員会や上塚氏を顕彰する「イッペイの会」による歓迎行事、百周年記念フォーラムなども開かれ、連日、使節団の行動が新聞紙面を飾った。
 使節団の最高齢者、林寿雄さん(96)も元気な姿を見せた。同氏は熊本県立工業学校卒業後、一九三一年に移住。在伯力行会会長や熊本県人会長、学生会理事、などを歴任し、日伯交流に尽した人である。
 訪問団にはまた、プロミッソン植民地で少年時代から故上塚周平氏のお墓を守り続けている安永忠邦さんら、在伯日系社会を築いてきた人々の姿があった。
 福田会長ら七名の代表団は十一日、潮谷知事らを表敬訪問。訪熊団一行は、熊本在住のブラジル日系留学生らとともに「火の国」のシンボル阿蘇山を訪れ、雄大な自然を楽しんだ。
 同日夕方には、ホテル日航熊本で、熊本日伯協会(小堀富夫会長)などでつくられた「熊本県人ブラジル移民百周年記念実行委員会」による歓迎レセプションが開かれた。
 小堀会長は、歓迎の挨拶で、「大勢の皆様に熊本に来ていただきました。来年の百周年には、ぜひ熊本県からも百人以上の県人がブラジルへ行かなければ」と百周年に向けた抱負を語った。
 一同郷土芸能を楽しみ、交流を深めた。訪問団員からは、「ふるさとは何度来てもいいなー」との声が聞かれた。

上塚周平の生家訪問
 翌十二日には、上塚氏の出身地、下益城郡城南町へ。生家を訪ねた一行は、同氏の墓に手を合わせ、イッペイの木を植樹。その後、同町「火の国総合文化センター」に建立された上塚周平銅像除幕式に参加した。
 ブラジル移民の父の業績を讃える銅像は、銅像建立期成会(一村信義会長)により完成した。除幕式には潮谷義子知事交流団を含め二百名以上が参列し、潮谷知事はじめ県議会議長らも参列のもと除幕した。
 なお上塚周平氏は一九七五年、同町の第一号名誉町民に選ばれている。
 除幕式終了後は雲晴寺本堂で、上塚氏を顕彰する「イッペイの会」(米原尋子会長)による昼食会。
 五百年の歴史をもつ同寺では琴の演奏、踊りが披露され、和食でふるさとの味を楽しみ、また手づくりの紙人形が各人に贈られた。
 訪問団一行はその後、同町の美少年酒造と町歴史民俗資料館を見学し、熊本城築城四百年祭に参加した。
 また第一回移民船「笠戸丸」でブラジルに渡った上塚周平、香山六郎氏の母校、県立済々黌OBなどがつくる「上塚周平済々黌顕彰会」による上塚周平伝『海を跳んだキナセン』(江頭隆生著)の出版記念会に、福田会長らが参列し、出版を祝った。
 十三日には熊本学園大学でブラジル移民百周年記念フォーラムが開かれた。アントニオ猪木氏、日下野良武氏が講演したほか、福田会長らによるパネルディスカッションが行われた。