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コチア青年還暦・古希・喜寿=喜寿になっても青年=仲間集って節目を祝う=古希54人、還暦は2人に=「元気は奥さんのおかげ」

ニッケイ新聞 2007年10月19日付け

 コチア青年連絡協議会(山下治会長)は十四日、サンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会で、毎年恒例のコチア青年還暦・古希・喜寿祝賀会を行った。今年は十七回目の還暦祝い、八回目の古希祝い、二回目の喜寿祝い。該当者約百人のうち二十四人が出席し、祝福に駆けつけた人を含めて約百三十人が会場に集まった。式典後の昼食会では旧知の仲間と酒を交わして談笑し、一同和やかな時間を過ごした。
 昨年五人いた還暦該当者は、今年二人。古稀も八十人から五十四人に大幅に減った。一方、昨年二人だった喜寿該当者は十人に増えた。
 コチア青年はコチア産業組合中央会の呼び寄せで、一九五五年から六七年にかけて行われ、二千五百八人の若者が海を渡った。すでに四百人が鬼籍に入ったが、ブラジルの大地に骨を埋める覚悟を胸に、戦後のブラジル移住史の中で大きな役割を果たしてきた。
 祝賀会では喜寿、古希、還暦の該当者それぞれが名前を呼ばれ、壇上前に着席した。先没者への黙祷を捧げたあと、山下会長らが一人ずつに記念品を贈呈。青年らを長年励まし続けてきた夫人らには花が贈られた。
 祝辞で山下会長は、「コチア青年が元気なのは奥さん方の内助の功があったから。今後も健康に留意して弱者への慈愛の心をもち、不正には勇気をもって戦いましょう」と力強くあいさつ。山下譲二文協副会長は上原幸啓会長のあいさつを代読し、「青年連絡協議会は元気と若さでみなぎった組織で知られる。私もそのように生きたいと思う」と述べた。
 続いて加藤恵久県連副会長が「コチア青年の方々にはもう何十年と生きていただいて、日本文化の普及を続けて欲しい」と激励の言葉。下元慶郎旧コチア産業組合専務理事は、同産業組合崩壊後の事後処理について触れて「もう五年から十年で最終決着がつくと思う。同協議会はぜひ永遠に残ってほしい」と語った。
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 「二十一歳でブラジルに来たときは将来、大農場主だなんて夢を抱いてね。でもそんな上手くはいかなかったけど、いい人生だった。ブラジルに来てよかったよ」――。そう笑顔で話していたのは古稀該当者の河合和彦さん。五九年一次十四期の一人として渡伯し、現在はサンパウロ州アチバイア市在住。菊の切花を専門に事業を続ける。「まあうちは後継者がいないし、あとはゆっくりと人生を楽しみたいです」。
 同じく古稀該当者で、同会に初めて出席した今野次美さん・藤子さん夫妻は五八年一次十六期のあふりか丸の同船者。渡伯後翌年にこの縁をきっかけに結婚した。「来年は金婚式。これからも夫婦仲良くほがらかに過ごしたい」とこの日の祝福を喜んでいた。