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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《4》=ヴィトリア=創立24年目の日系協会=〝子供たち〟と感動の再会

ニッケイ新聞 2007年10月19日付け

 午前中に市内観光を終わらせた一行は、地元日系団体のヴィトリア日系協会(松永扶男会長)と交流を行うべく同会館を訪れた。大型バスが近くまで入ることができないために、途中からは徒歩で会館までようやくたどり着いた。到着した一行は、会員たちと一人一人握手をしながら挨拶を行っていった。
 初めに、同地で亡くなった先人たちに対して黙祷が行われた。続いて、樫本信行書記が、パワーポイントを用いて、同協会の歴史やエスピリト・サント州の説明、写真紹介などを行った。
 一九八二年に同協会の前身サンデークラブ(溝口正晴会長)が創設。その一年後には日系協会の日本語教室が開設された。翌年、ヴィトリア日系協会が創立され、今年で二十四年になる。
 会員は最も多いときで百五十家族いたが、現在では百家族(非日系が四家族)に留まっている。クラブ活動は盛んで野球、太鼓、ソフトボール、ゲートボール、コーラス隊など様々なスポーツが行われている。
 続いて、松永会長は「他団体との交流が少ない同会館にこれだけ多くの人が来てくれた。今回の交流は非常に嬉しい」と歓迎の挨拶を行った。
 ふるさと巡りの長友契蔵団長は「立派な席を用意していただいてありがとうございます」と挨拶を行った後、第九回フェスティバル・ド・ジャポンのDVDと「鈴木悌一―ブラジル日系社会に生きた鬼才の生涯」(鈴木正威著、人文研発行)を手渡した。
 婦人部はもてなしの料理のために、約一カ月前から構想し、用意に大忙しだったという。刺身やパステル、サラダなどが用意されていた。
 今回で十回以上同旅行に参加している行徳志保子さん(73、二世)は、同会館で懐かしい再会を果たした。南米銀行で働いていた当時、友達の子供たちの教育費など面倒を見ていたという。その子供たちと、実に約二十五年ぶりの再会を果たした。
 西田行男さん(53、二世)、川田マサユキさん(58、二世)、橋爪時子さん(旧姓武内、61、二世)の三人だ。
 三人は「ふるさと巡りの名簿を見た時、もしかしたらと思ったけど、本人だったなんてビックリ」と懐かしい再会を喜びあった。
 行徳さんは「一人はヴィトリアに行ったという話しは聞いていたが、三人ともここにいるなんて」と感極まった様子で話した。
 交流中には、同協会で活動している太鼓、三味線、コーラスが披露された。最後には炭鉱節を参加者全員で踊り、ふるさと巡り定番の歌「ふるさと」を合唱、楽しい雰囲気のまま交流は終了した。(つづく、坂上貴信記者)