ニッケイ新聞 2007年10月25日付け
ブラジル日本会議(小森広理事長)派遣の第四回皇居勤労奉仕団が今月初め、皇居での奉仕活動に参加した。このほど団長の渡辺忠さんからその報告が送られてきたので、掲載する。
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〃来年は移住百周年ですね。ブラジルの皆さんお元気ですか?〃去る十月二日、ブラジル日本会議(小森広理事長)が派遣した第四回皇居勤労奉仕団が皇居で天皇皇后両陛下よりご会釈を賜ったときの陛下のお言葉だ。その上で、ブラジルご訪問の印象をいろいろと述べられた。両陛下の移住者に対する強く暖かい思いに団員一同は感動を新たにした。
来年は陛下の御即位二十周年でもある。今回はパラグアイのイグアス移住地から三名が参加した。両陛下は三十年ほど前に同移住地をご訪問されたことがあるため、伊藤鷹雄・ミツ子夫妻と福井黎子さん(三名とも岩手県出身)の近況ご説明に笑顔で対応された。
皇居での勤労奉仕作業には日本全国から毎年一万人を超える人々が参加している。八月と九月は休止期間で十月一日に再開される。
今年はブラジルとパラグアイからの勤労奉仕団(二十七名)の奉仕時期が作業再開最初の週(十月一日~四日)だったため、宮殿の中庭、天皇陛下ご執務棟の玄関(御車寄せ)とそこに通じる道路、および、御所(両陛下の居所)の玄関と中庭の掃除、など〃贅沢〃満杯の作業となり、団員の心は〃来て良かった〃という満足感でいっぱいとなった。
赤坂御用地と呼ばれる皇太子殿下ご一家と皇族がたの居所での勤労奉仕作業は三日に行われた。
この御用地では天皇陛下ご主催の秋の園遊会が二十五日に予定されているため、男子団員は園遊会で菊などを飾る施設の整備作業を行った。女子団員は勤労奉仕団員の休憩室の掃除だった。二カ月ぶりの掃除で見違えるほどきれいな休憩室に変身した。ご会釈で皇太子殿下より暖かいお言葉を賜り御用地での奉仕作業も無事に終了した。
国民による勤労奉仕期間は四日間が通例となっており、皇居で三日間、赤坂御用地(通称・東宮御所)で一日間、となっている。十月第一週はブラジル・パラグアイ奉仕団を含め鹿児島、大分、佐賀、岡山、愛知、長野の七団体約三百名が参加した。
九月二十七日、サンパウロでの結団式(本紙九月二十九日付けで報道)で合意したように、団員ひとり一人が日系コロニアの〃大使〃になったつもりで来年のブラジル移住百周年を積極的にアピールした。
四日間の勤労奉仕作業を終えて、天皇陛下より団員各位に菊の御紋章入りお供物が下賜された。更に、侍従を通して、天皇皇后両陛下珠玉のお言葉集「道」、皇后陛下お言葉集「あゆみ」、皇后陛下御歌集「瀬音」の三冊がブラジル日本会議勤労奉仕団に特別にご下賜された。〃前例のないこと〃と宮内庁関係者が指摘したほど、両陛下の移住者に対する深い御心の現われ、と言えよう。
御本には南米をご行幸されたときの印象も記載されている。当面、これらの御本はブラジル日本会議(サンパウロ市・電話(11・3271・6304)が所蔵するようだ。
一行は皇居での勤労奉仕の前後に靖国神社と明治神宮を正式参拝した。六日に東京で開催された日本会議設立十周年記念大会(三千名参加)に特別招待を受けて出席して会場の中央部に据えられた席に着席した。
大会の中で〃ブラジルとパラグアイからの勤労奉仕の皆さんです〃と紹介され、三本のブラジル国旗を高々と掲げながら起立して存在をアピールした。勤労奉仕団はこの会場で自主解散し、一週間のいろいろな思い出を胸にそれぞれの郷里に向かった。