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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《10》=ベロ・オリゾンテ=ミナスを好きになって=最後の交流も和やかに

ニッケイ新聞 2007年11月01日付け

 オウロ・プレットの見学を終えた一行はホテルでしばし休息の後、夕刻から最後の交流会を行うためにミナス日伯文化協会(馬場直哉会長)会館を訪れた。
 同協会の関係者五十人ほどが門の近くで出迎え。会員一人一人と握手を交わし席についた一行は、赤木文雄副会長に促され会館内を見学した。
 同協会は現在百二十家族で、十家族ほどの非日系会員がいる。最も多い時で百八十家族が会員だったという。日系人でなくても、会員からの紹介があれば入会することができる。
 会館内で同協会が経営する日本語学校では、現在六十人ほどが日夜勉学に励んでいる。その他にも仮設の柔道場で柔道の練習に励む姿もあった。また、プールやフットサルのコートなどがあるために、スポーツを行う会員やカラオケ、生け花、将棋を楽しんでいる人たちも多くいる。
 同協会では現在、百周年記念事業として講堂の改修を行っている。馬場会長は工事が終わっていないことを詫びながら「ミナスへようこそ。ミナスは綺麗で美しくて良いところです。みなさん好きになってください」とあいさつ。
 続いて、第二十回ふるさと巡りに参加した赤木副会長が、当時を振り返り、「今回のふるさと巡りで訪れた各地での先亡者に敬意を表し、心の中にしまっていて欲しい」と話した。
 返礼に立った長友契蔵団長は「移民としてブラジルに来て、ミナスに貢献している人たちを感じることができる場所」と歴史を感じながら挨拶。その後、地元で各家庭にお経を上げている宮崎和男さん(58、高知)による先亡者法要が行われ、一行や会員たちは先人に想いを馳せながら焼香を行った。
 同協会が用意した味噌汁やうどん、お寿司などの日本食に大喜びの一行は料理を目指して一目散。食事を囲み、一行は思い思いに昔話や世間話をして大いに盛り上がった。最後にはみんなで恒例の「ふるさと」を赤木副会長の音頭で熱唱。代わる代わるマイクを当てられ恥ずかしがりながら大声で歌う姿が目立った。
 最後には「星影のワルツ」を参加者全員で熱唱。今回二度目の参加となる近藤満美さん(74、福岡出身)は「このふるさと巡りは、いろいろな移住地を行けるのが楽しい」と満面の笑顔で話してくれた。一行は固い握手を交わしながら最後の交流会を終え、ホテルへと戻っていった。(つづく、坂上貴信記者)



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