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デビュー5年で里帰り公演=三世歌手の南かなこさん=来年5月、国内4都市で=「ブラジルの人達に感謝」

ニッケイ新聞 2007年11月13日付け

 百周年で里帰り――。日本で活躍中の日系三世の演歌歌手、南かなこさん(26)が、移民百周年を迎える来年五月、ブラジル国内四都市で公演する。日本に渡って十四年、プロデビューから五年。初の里帰り公演決定に、ブラジルの関係者からも喜びの声が上がっている。ニッケイ新聞の取材に対し、かなこさんは「ブラジルで一人でも多く私の歌を歌ってくれる方が増えるよう頑張りたい」と、公演に向けた意気込みを語った。
 「南(ブラジル)から来て、夢がかなうように」との願いを込めてつけられた「南かなこ」の名前。パラナ州ロンドリーナ生まれのかなこさん(本名・上野智恵美)は幼い頃から歌に親しみ、六歳でサンパウロに移転してからは花柳寿り翔さん、島田正市さんの下で日舞と歌を学んだ。
 先に訪日していた家族を追って日本へ渡ったのは十二歳の時。一家の帰伯後も父親の満夫さんは日本に残り、娘のデビューを見届けた。
 静岡県で高校を卒業後は、東京で働きながら音楽を学び、二〇〇二年、小林幸子の所属する幸子プロモーションに入り、翌年、コロムビアレコードからデビュー。デビュー曲「居酒屋サンバ」はその年の日本レコード大賞、日本有線大賞でそれぞれ新人賞を受賞した。その後もNHKなどの音楽番組、ドラマなどに出演。「かなこの浜っ娘ソーラン」を発売した〇五年には、祭りやイベントに参加しながら全国をまわる「南かなこキャラバンカーツアー」を行うなど、活発な活動を続けている。
 昨年一月にファーストアルバム、十月には六枚目のシングルとなる「望郷北岬」を発売した。来年一月には、デビュー五周年を記念して、東京で初めてのコンサートを控えている。
 百周年の年にあたる来年の里帰り公演にあたっては、ABRAC(日本歌謡ブラジル協会、西森アケミ会長)が尽力した。
 同協会の有江テツジ副会長によれば、NHKの音楽番組でブラジル公演への熱意を知った関係者から要望があった。かなこさんが幼い頃、ABRACの大会で童謡の部に出場していた縁もあり、同協会から幸子プロモーションへ申し入れ、実現したという。
 これから開催準備とともに、ブラジル国内での広報を進めていく考え。来年三月には、サンパウロ、パラナの四都市で、かなこさんの歌だけを歌うコンクールを開く計画だ。「南さんのアルバムを指導者に渡したら、皆喜んで教えています」と有江さんは話す。
 デビュー五年で実現したブラジルへの里帰り公演。サンパウロ市在住の両親の喜びもひとしおだ。
 母親の艶子さんによれば、公演決定を伝えた時、「『夢がかなえられる。ブラジルの人たちに感謝したい』と彼女も喜んでいました」という。
 「コンサートじゃなきゃ帰ってこないと言っていましたから。忙しくてたまにしか電話しないけど、『かなえられるかな』と話していましたよ」と艶子さん。「普通の時でも嬉しいのに、百周年の年に来られるなんて、なんと言っていいか分かりません。人生で心に残るものになると思います」と喜びを表した。
 現時点では、来年五月にサンパウロ(二十一日)、サンベルナルド・ド・カンポ(二十二日)、ロンドリーナ(二十三日)、カンポ・グランデ(二十四日)の四都市で公演することが決まっている。
 デビュー前以来約七年ぶりの里帰りだが、ブラジルでの滞在期間は一週間前後と、かなりのハードスケジュール。艶子さんは「一緒に過ごす時間があるかどうかは分かりませんけど」としながらも、「そこは仕事と割り切って。コンサートには行きたいですね」と話した。



故郷ブラジルを心に頑張る=南さん=日系社会にメッセージ

 ニッケイ新聞が今月初めにメールで行ったインタビューに対し、南さんから、公演に向けた心境やブラジル日系社会へのメッセージが寄せられた。質問および回答は次の通り。

――デビューから五年で里帰り公演が実現したことについての気持ちは
 小さい頃からの夢「日本で演歌歌手」になることが出来、そして、デビューからの一番の夢が両親や家族のいる、そして私の故郷「ブラジル」でコンサートを開くことでした。決まったときは、本当に嬉しくて、思わず号泣してしまったぐらいです。

――家族の反応は
 やっぱり両親が一番に喜んでくれました。今から、両親はいろいろと計画をしているみたいです。

――公演に向けた意気込みは
 今は、デビュー以来初めて帰る、故郷を思い浮かべる毎日です。
 私の歌で、少しでも元気や勇気を持っていただけたらと、一生懸命歌いたいと思っています。
 そして、ブラジルでも一人でも多く南かなこの歌を歌ってくれる方が増えるように、頑張ります。
 ただ、故郷の皆さんの前で歌うことは、今からとても緊張しています。

――ブラジルの日系社会へのメッセージを
 私は十二歳まで、ブラジルで育ち、夢をかなえるために日本へ旅立ちました。
 これから、日本にいても故郷のブラジルを心に、次の夢に向かって一生懸命頑張っていきます。
 みなさんも、夢をあきらめず一緒に頑張りましょう!
 二つの故郷を持っているって素晴らしいですよね!