ニッケイ新聞 2007年11月27日付け
「人の嘲笑世の罵倒 欠乏貧苦そも何ぞ」との勢いある会歌が二十五日、ブラジル力行会創立九十年記念祭で高らかに斉唱され、集まった会員ら約百三十人が節目の日を祝った。会場となったサンパウロ市内の在伯栃木県人会館には訪伯慶祝団ら八人も列席し、移民史の重要な局面を礎となって支えてきた功績を振り返りつつも、今後のさらなる日伯交流促進を誓い合った。
午前十時からは、永井希さんのグループによる琴と尺八の演奏、続いて、礼拝となり、作間サムエル牧師が説教した。
開会の辞で、ブラジル力行会の永田久会長は、戦前に五百六人、戦後は千二百十人が同会を通して移住、さらにブラジルから八十四人が研修生として渡り、計千八百人もが両国交流の礎になったと報告した。
「七人の侍」といわれたユバ農場の創立者全員が会員であり、一九二一年に約三万冊の本を持ってきて各植民地に配本したが、その歴史を知るものは少なくなり、「アリアンサ移住地建設やアルモニア学生寮など移民史の重要な局面で、目立たないが下積み的な役割を確実に果たしてきた」と語った。
来賓の西林万寿夫在聖総領事は、同会員である外山脩さんが著した『百年の水流』を引用し、「力行会はそれまでの移住の様相を一変させ、文化の薫り高い移民を導入、人作りに重点を置いた」との印象を述べた。ブラジル日本文化福祉協会の山下譲二副会長も挨拶した。
今年一月に創立百十周年を迎えた日本力行会の中村靖理事長は、「ブラジル力行会が世の役に立っているのは、先人の血の滲む努力の賜物と心から思う」と活動を高く評価し、更なる協力を約した。日本力行会は島貫兵太夫氏により、貧窮の中に将来の大成を夢見る苦学生を助け、海外発展運動を掲げる民間団体として一八九七年に創立された。
その後、戦前から会費を払い続けている功労者やその家族として、西村俊治さん、林寿雄さん、根岸健治さん、飯塚かえ子さん、石倉旭さん、込山丈夫さんら二十二人に感謝状と記念品が送られた。
次に市や州から名誉市民賞などを授与された三会員から「力行会員ここにあり」という報告が行われた。一番手に立ったサンパウロ州リベイロン・ピーレスの木内荘三さんは、二十一年間、週三回も地元クラブで柔道を教え続け、二百五十人もの柔道家を町内に育成したが、「一銭の報酬も受けていない」と胸を張った。
さらに経済開発功労賞も受けた南マ州ノーバ・アンドラジーナの代田正二さん、ミナス州マルメロポリスで登山普及に邁進した前田英喜さんもそれぞれ報告をし、拍手が送られた。
記念昼食会では、日本力行会の小泉知定副理事長が「送り出した側として、このように活躍されている姿をみて涙が出る」と挨拶して乾杯の音頭をとった。会員が提供した珍しい猪汁に舌鼓を打ちながら、なごやかなに歓談した。
昼食後は、永田久会長発案によるグループ懇談会が行われ、午後五時ごろまで和気藹々とお互いの経験談を語り合った。飛松実さんは「意見を出し合ってとても刺激になった」と感想を述べた。
式典後、ニッケイ新聞の取材に応え、最高齢参加者の一人、武井誠さん(98歳)は「財産もできなかったが、力行精神のお陰で順調にやってこれた」と感謝の気持ちを込めて語った。