ニッケイ新聞 2007年11月30日付け
【ブラジリア支局】武士道精神の日系空軍少将が誕生した。柴田・アウグスチーニョさん。新少将は、一九四六年、サンパウロ州レジストロの出身、現在六十一歳。
正式に十一月二十二日付けの官報で告示され、二十五日にはブラジリア空軍基地内サロンで披露のパーテイーが催された。島内憲・駐ブラジル日本国特命全権大使や斉藤準一空軍司令官ほか知人、友人、関係者約五百名が雨天にも拘らず駆けつけ昇進を祝った。
さらに二十六日にはルーラ大統領への引き合わせの儀式を終え、名実共に柴田新空軍少将が誕生したのである。
新少将は、ブラジリア大統領府でコーロル、イタマール、カルドーゾと、三代にわたり空軍武官として仕え、コーロル大統領とは一緒にジョギングをしているのが週刊誌に掲載されたこともある。
空軍への入隊は一九六五年、十九歳の時で、バルバセーナの空軍士官学校に幹部候補生として入ったのが軍人としての人生の始まりである。
その後、順調に昇進を重ね今日に至っているが、現在の役職はCOTARという空軍陸戦部隊の総責任者である。人柄は気さくで、一世の妻を持ち、日本語も堪能な親日家だ。
以下、二、三質問をしてみた。
――どうして軍人になったのか。
日本の武士道に憧れていて、幼少の頃より剣道もやっていたし、硬派の自分には軍人が向いていると思い、友達と三人で試験を受けたが、私だけ受かってしまった。
――どんな思いで仕事をやってきて、また、現在はどんな心境ですか。
私なりに一生懸命にやってきたが、一番励ましになったのは家族とその関係です。妻の巨子の父は福井県人会の会長を長年やり、九十三歳の現在も元気です。いろいろ今まで薫陶いただきましたし、妻にも本当に感謝してます。
――ーブラジル日系社会に何か一言ありますか。
私は日系人の多い、サンパウロ州のレジストロで育ち、その後、クリチーバ、ベレン、リオデジャネイロ、ブラジリアと職場を転々としましたが、どこでも日系コロニアのお世話になり、感謝の気持ちで一杯です。(尼崎道雄支局長)