ニッケイ新聞 2007年11月30日付け
上原学園(上原ミチエ園長)毎年恒例の学芸会が二十五日午前十時から、サンパウロ市ヴィラ・カショエリーニャ区サンタマリア沖縄協会で行われ、父兄ら約二百人が園児らの晴れ姿を見に集まった。
上原学園はイミリン・ファッチマ日本人会などが前身となり、〇三年、保育園・幼稚園の形で再スタート。現在の園児数は約六十人。公文式で行なわれる日本語学校の生徒は約三十人が在籍している。
上原園長はあいさつで、「日本移民の歴史と戦争の悲惨さを子供たちが学ぶことで〃日系の力〃を伝えることが学園の責任」と力強くテーマと趣旨を語った。
日本語学校の生徒らが戦争の映像をバックにダンスを披露、会場からは惜しみない拍手が送られた。
劇では、原爆症に倒れ、千羽鶴を折りつづけたが、被爆十年後の一九五五年に亡くなった佐々木禎子さんの人生を取り上げ、生徒らの熱演に目頭を押さえる父兄の姿もあった。佐々木さんは広島・平和公園にある「原爆の子の像」のモデルとなっている。
広島県人会から在伯被爆者の細川晃央さんが舞台に立ち、体験を交えながら、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えた。同学園から、細川さんに花束と記念プラッカなどが送られた。
第二部では、浴衣姿の女の子らが傘を手に日本的な振り付けで華麗な踊りをみせた。先生らに抱かれた幼児たちの童謡と共に手を叩く愛らしい姿が会場を和ませていた。
小野めぐみ先生は、「約三カ月、準備にかかった。子供たちも頑張りました」とニッケイ新聞の取材に笑顔で答えていた。