ニッケイ新聞 2007年12月5日付け
渡航してきたコチア青年ざっと二千五百人。移民の多くが、さまざま紆余曲折を経て、今があるが、コチア青年たちも「語れば長い」ブラジル生活をした人が多い▼最近、すでに物故した一人の青年(生存していたら八十歳近い)の「死亡時の状況」を明らかにするのに手を貸してくれ、と頼まれた。残念だが余り役に立てなかった。それは、こんな話だ▼物故青年の日本の母親が、長年月音信が途絶えている息子の消息を知りたい、とあるテレビ局の「家族に会いたい、海外捜査」とかいう番組に申込みをした。テレビ局の取材班が息子の最後の手紙の住所(サンパウロ市からおよそ二千キロ)を訪ねたところ、すでに鬼籍に入っていた。青年は、モトバイクの販売店を持っていたほどに〃成功者〃だったが、家業は他人に渡り、妻は入院していてものが言えず、こどもの有無も確認できなかったという▼母親は驚いて県の移住家族会を通して、同郷のほかのコチア青年にさまざま照会してきたのである。母親は知りたがった。息子の命日、死去前後の様子、こどもの有無、墓地の写真など……を。親なら当然の事柄ばかりだ▼一説によれば、コチア青年の不明者は、帰国者を含め全渡伯者の三〇%余りといわれる。確かに、過去発行された「移住△△年史」の名簿をみると、名があって住所が欠けている人が多い。好き好んで住所を秘匿した人はいないだろう。公表できない理由があったのである。さて、あなたは、死後、親族に探されない移民ですか?(神)