ニッケイ新聞 2007年12月8日付け
日系ブラジル人として日本のプロ野球で目覚しい活躍を遂げた玉木エンリッケ重雄(36、三世)巨人二軍コーチ補佐(育成コーチ)兼中南米担当スカウトが、このほどブラジルに帰省し、ブラジル内の野球レベルの視察のほか、恩師や友人たちと懐かしい再会を果たしている。〇六年のシーズン終了後に現役引退、直後に読売ジャイアンツとコーチ兼スカウトとして契約した玉木さん。母国の野球を久々に見学し、「まだ現段階では分らないことばかりなので、何とも言えません」とコメントした。
玉木さんはカスペル・リベロ校在学時代の八七年にブラジル代表のエースとして訪日。九〇年に再訪日し、三菱自動車川崎に入社した。
言葉の壁や日本野球の違いへの戸惑い、二年目には肩を故障したが、三年目に見事復活。九五年の日本選手権ではMVPを獲得するなど目覚しい活躍を果たし、同年、ドラフト三位で広島東洋カープに入団した。
在籍九年間で主に中継ぎや抑えなどを務め、南米ならでは無類のタフネスぶりを発揮した。特に〇一、〇二年には年間五十試合以上に登板し、安定した防御率でチームに貢献。切れのあるフォークを武器に百四十キロ台後半のストレートやカーブ、スライダーを武器に、中でも巨人キラーとして名を馳せた。
〇五年に無償トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。球団創設時の一員として二年間在籍した。〇六年の現役引退後は、広島や楽天などから中南米担当のスカウトをしないかとの要請も受けたが、読売ジャイアンツの二軍コーチ補佐(育成コーチ)兼中南米発掘担当に就任した。
玉木さんは先月二十三日に着伯。約三週間の滞在中、ブラジルの野球を視察したり、旧友との再会を楽しんだりと忙しい様子。
ニッケイ新聞の取材に対し、「昨年までは選手だったが、人を育てる役職としてとてもやりがいがある」と現在の心境をあらわす。さらに、「この職についた限りは育成枠から上(一軍)へ昇格できるように頑張って行きたい」と意気込みを話した。
今年度初めには初仕事としてドミニカ共和国を訪れ、速球が売りのオビスポ・ウィルフィン選手を育成枠として契約、同選手は今シーズン、一軍で二回ほど登板する機会も得た。
今年のオフシーズンにも育成選手の鈴木誠投手とオビスポ投手の二人の若手を連れ、ドミニカのウィンターリーグで武者修行を行っている。
ブラジルの野球に対しては「久し振りに見たのでまだどんな状態かは全く分らない。これから徐々に見極めていきたい」と関心を寄せる。
後輩たちに対しては「練習に練習を重ねて個々のレベルを高めていくしかない。気持ちで自分の能力を高めていくことが成功への道」とエールを送った。
シーズン中は育成コーチとして多忙な日々を過ごし、シーズンオフになると中南米へ派遣され、選手発掘に力を注いでいるという玉木さん。しかし、時間の都合上、「現在のところドミニカにしか行っていませんがね」と苦笑いを浮かべた。