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県連=松尾・大西戦争が勃発!?=「出て行け」、FAX送付…=感情問題が激しい対立へ

ニッケイ新聞 2007年12月19日付け

 〃出て行け〃(Vai embora)――! 今月五日のブラジル日本都道府県人会連合会執行部会で松尾治会長が大西博巳副会長に発した、この一言でわだかまりが噴出した。大西氏は十七、八両日、『県連を追放されるにあたって』と題し、「犬にしか使わない侮辱的な言葉で追放された」などと松尾会長に対する二年間にわたる不満を連ねたFAX文書を全県人会に送付した。松尾会長は、「自分の発言にも非があったが、いつまで個人攻撃を続けるのか。やり切れない思い」と苦りきった表情を見せながらも、「県連を自分の思い通りにしようとするのが間違い」と応酬する。調停役となった網野弥太郎県連顧問は、「もうさじを投げた」と呆れ声を出し、かつてない県連の醜聞に困惑気味だ。なお、今回の騒動で二十日に広島文化センター(大西会長)で予定されていた代表者会議及び忘年会は、愛知県人会に変更された。
 松尾氏が会長に就任したのは、二〇〇六年四月の改選時。擁立したのは、大西博巳(広島)、加藤恵久(鳥取)、吉加江ネルソン(宮崎)の三会長だった。
 吉加江氏は現在会長職にないため執行部ではないが、大西氏、加藤氏(日本祭り実行委員長)は副会長に就任している。
 本来ならば、三位一体となり県連を牽引していく立場であるはずだが、何故ここまで感情がもつれ、対立してしまったのか――。
 「会長の仕事であるまとめ役をしていない」と指弾する大西副会長がFAX文書で指摘する松尾会長に対する批判内容、意見の相違の大筋は次のようにまとめられる。
 第八回日本祭り(当時=中沢宏一会長、田畑稔日本祭り実行委員長)の決算報告で「会計に関しては解決済み」として、松尾体制に移行後、未払い分が発覚。支払う義務はないとする大西副会長と松尾会長の意見が対立した。
 第九回日本祭りの純利益の四%を広告代理店に支払う約束を独断で行なったこと。松尾会長は、これに対し「大西氏の勘違い。それは加藤氏が扱ったはず」と真っ向から反発している。
 なお、十五万レアルの黒字を出した同祭での収益で県連専用の車を購入したいとする松尾会長の意向に大西氏は、「県連の収入は基本的に会費しかないのに、黒字だったからといって、車を買うというのは理解できない」と反対、「ボランティアである役員は、すべて個人の出費でやるべき」とも強調する。
 松尾会長は、「県連の活動が活発化したことから『専用車があってもいいのでは』と発言したが強硬に推してはいない」と話し、反対した大西氏に何ら悪感情は抱いていないという。
 執行部に相談することなく、ブラジリア、ベロ・オリゾンテ、パラグアイに県連経費で出張したこと。
 「県連としてではなく、百周年執行委員長として行っている。そもそも出席する必要はなく、祝電でもいいはず」(大西氏)
 「訪パは話したはず。他に関しても連絡したから理解がもらえたと理解している」(松尾会長)
 なお、松尾会長が百周年協会の執行委員長に就任することに関し、執行部に事後報告、以後県連会長の職を疎かにしていることも指摘する。
 これに関しても、「自分は忙しくなったが、やるべきことはやっている」(松尾会長)と両者とも全くの見解の相違を見せている。
 五日の執行部会では、忘年会に招待する会社を巡り、口論となった加藤、大西両氏をなだめた松尾会長。数度の忠告を聞かず、「もう出て行く」と言う大西氏に対し、「(会議の場から)Vai embora」と発言、大西氏はこれを〃県連から〃と理解、「人を敬えない人間とはもう話したくない」と憤りを隠さない。
 二十日に代表者会議、忘年会が広島県人会で催される予定となっていたが、大西氏はこれを拒否。十七日の幹部会議で愛知県人会へ変更となっている。
 網野顧問は、来年の日本祭りへの影響を懸念、「(大西氏に)『来年三月の改選まで我慢してくれ』って言ったんだけど、態度が硬化して、取り付く島がない。二人とも感情だけで動かず、県連のことを第一に考えてほしい」と頭を痛めている。
 今年八月に訪日、県連会長として、広島県知事、県会議長を表敬訪問した松尾会長は、「百周年にも協力的な母県広島に対して、どう説明するつもりなのか」と話している。