ニッケイ新聞 2007年12月28日付け
「移民の父・上塚周平伝『荒野の人』」(能美尾透著、ニッケイ新聞刊)のポ語版『O Homem da Mata Salvagem A Saga de Shuhei Uetsuka』の出版記念会が二十日夜、十五日のプロミッソン市に続いてサンパウロ市の移民史料館で行われ、約百二十人が訪れた。
ニッケイ新聞の高木ラウル社長はこの本の出版を機に自身のルーツにも関心が湧いたので母親に尋ねたところ、アラサツーバ近くのアグア・リンパに入植していたことを初めて聞き、上塚に縁の深いノロエステ線とつながりがあることに驚いたとの話を披露し、「この本を読んで、二世の人たちに自分のルーツを見直す動きが生まれることを期待したい」とのべた。
ブラジル日本文化福祉協会の上原幸啓会長は、兄と姉二人ずつが一九三二年ごろに渡伯して上塚第一植民地(現プロミッソン)のゴンザガ植民地に入植して上塚本人に世話になり、一九三六年に上原会長が移住したとき、一緒にアララクアラ線のヴィラ・ボテーリョ耕地に移ったとの経験を説明し、「兄たちが上塚先生の話をするときはいつも大きな敬意を払っていた」と振り返った。
そんな兄弟が畑仕事に汗水たらして従事し、自分を大学までやってくれたことに感謝し、「今もサンパウロ大学の学生の一五%、教授の八%は日系人。これは古い移民のみなさんの努力が無駄に終わらなかった証拠」と顕彰した。
在聖総領事館の後藤猛領事も「この本によって日伯の相互理解が深まる」と喜び、最後に、母親がリンス近くのグアイサーラ生まれというノロエステと深いつながりのある飯星ヴァルテル連邦下議は、「百周年の機会に、上塚先生のような先駆者の人生を学ぶことは重要」と強調した。
その後、宮坂国人財団の上原啓三専務理事が乾杯の音頭を取り、来場者はゆっくりと歓談した。翻訳した故・園尾ローザ登喜子さんの代わりに今回も夫の彬さん、能美尾さんがサインをし、約七十冊が売れた。
息子の和教さんと共にプロミッソンから駆けつけた安永忠邦さんは、「コロニアを引っ張っていらっしゃる機関車のような方々に、こうやって沢山あつまっていただき、私はただ感激です」と頭を下げ、上塚の写真を指さして「さぞかし先生もお喜びになっていることと思います」と微笑んだ。
日語版(三十五レアル)、ポ語版(三十レアル)ともにリベルダーデの各日系書店やニッケイ新聞社、移民史料館で販売されている。